「愛と家族のロゴセラピー6」勝田茅生著より引用
「夜と霧」の著者ヴィクトル・フランクルが始めたのがロゴセラピーです。フランクルはナチスの強制収容所で自らロゴセラピーを体験することで負けそうになる精神面を支えました。
ロゴセラピーでは、心(感情)と身体の上位に精神があると考えます。心と身体が病んでいても、精神が健全な場合があります。愛をこの精神、心、身体での愛についてフランクルは説明しています。
精神;人間に本来的 ;外の対象に向かう本来的。精神的な志向性
相手の人間の中核にある精神的な人格を敬愛する気持ち。
心理;エロティック ;好きになる・惚れる
相手の持つ性格に親しみを感じる。相手の話し方、表情・態度が好き。
身体;セクシャル ;性的な衝動
身体的次元での愛情。性的衝動。
精神レベルは、相手の人なりをよく理解して尊敬する。たとえば、相手がどんな人にに対しても親切でどんな時にも援助を惜しまない、自分の利益だけを追い求めずに社会に奉仕することに関心を持っている、という生活態度に惹かれる。
「愛は私たちに戯れの恋の相手精神的な人格を『見せてくれる』のです」フランクル
フランクルの言う『見せてくれる』という表現はには、二種類の意味があります。それは、その人が本当はどのような人かという現実の姿が顕著になるということと、まだ実生活には実現されていない「価値の可能性」を「先取りして」見られるということです。
「・・・つまり愛はまだ存在しないものを見て取るのです。愛は愛する相手が持つ価値の可能性を見て取り、これを理解するのです。また愛は精神的な観照の中で、愛する相手がまだ実現していない人格的な可能性として隠し持っているものを具体的に先取りしてみるのです」。
それは相手の中に潜んでいて、まだ外に向けて開花していない可能性を直観することです。スイスの教育者ベスタロッチの有名な言葉に、「誰かに対してよい影響を与えたいと思ったら、その人を愛することだ」と言うものがある。
しずかちゃんがのび太と結婚;
しずかちゃんがのび太の精神、心、身体のどこに愛情を見出したかと言うと、のび太の精神レベルに惹かれたのではないでしょうか。
しずかちゃんが結婚に迷って、お父さんに相談しました。お父さんは「あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それがいちばん人間にとって大事なことだからね」と言ってくれました。
ブログに上記を書いたところ、読んでくださった方から、もう一つのストーリーを紹介してくださいました。新旧の2作あるとのことです。
指輪?(大切な物)か何かをしずかちゃんが無くして、それを必死に探すのび太をお父さんが見てて、しずかちゃんもそれを見て、「小さい頃から何かあると必ず必死で助けてくれたのび太を思い出し・・」
フランクルは、心や身体レベルだけで惹かれた場合は、それが無くなったり、あるいは今の相手よりよい人がでてくると分かれて行く。一方、精神レベルで惹かれた場合は、愛は続くと説明しています。
しずかちゃんはのび太との結婚で、しずかちゃんのまだ出ていない良いところが引き出されるのだろうと思います。
付き合うことで、お互いが影響を与え、それによりお互いが学び合え、お互いが成長し、お互いがさらに精神レベルで成長することが、フランクルの言う”愛”のように思いました。