「たとえぼくに明日はなくても」車椅子の上の17歳の青春 石川正一著
筋ジストロフィーを5歳で発病し、12歳のころには歩けなくなり、
手術でギブス固定で少しあるけるようになったがそれも1年半で、
また車椅子の生活に。小さいときに自分は何歳まで生きられるのかと尋ね、
20歳までしか生きられないと教えてもらう。
石川正一君の言葉
「筋ジストロフィーという病気は、ぼくにとっては本当に重荷だけれど、それは、神様が何かの意味をがあって、ぼくに与えてくださったのだから、“恵み”とも言えるんだ。それは自分を高めてくれる“神の愛”なんだよ。きっと。だからぼくは、そのスタート台に立って、たとえ短くても、自分の納得できる人生を生きなければならない」
「何で僕なんか生まれてきたんだ!生きる意味がない!」
との葛藤があり、苦しみながらだったそうです。23歳の生涯でした。
『石川正一少年物語』 幸せ玉手箱 より; 一部引用http://blogs.yahoo.co.jp/siawasetamatebako2007/33241336.html
彼は体が弱く、父親は悩みの種であった。
東大病院で診察して貰ったら、「筋ジストロフィ」と言う難病で、医者が
言うには「筋肉が一日一日と萎縮し、間もなく杖をつかねば歩けなくなり、
終(つい)には寝た切りとなり、死亡してしまいます。
精一杯、後10年の命でしょう、今の医学では治す方法がないのです」。
と申し渡された。
父親は迷った。苦しんだ。胸が裂けるような思いの毎日であった。
杖をつくようになるのか、僅か20才の命か、少年は10才の時であった。
之を息子に話せば良いのか、話さないほうが良いのか、更に悩んだ末、
子供なりの考え方があり、子供なりに行動するであろう、全てを自由に
してやる外はない、と、断腸の思いで、決心して、素直に話した ! !
正一少年は意外と冷静に受け止めてくれた。然し、厳しく唇を噛みしめ
「僕は後10年の命か、分かりました。お父さん心配しないで下さい。
僕は20年の命を頂いて、生まれたのです。
一日一日を大事にして、生きて行きます。
それには病状の変化、命の大切さ、生まれた喜び、毎日の出来事、
考えたことなどを、日記に書いて、同じ病気の人たちに知ってもらい、
力づけてあげたい、それが出来たら、生まれて良かった。と思える、それでいい」。と言った。
それから正一少年は克明に日記を書きつづけた。
しばらくして、其の事を聞きつけた出版社が来て、日記を読ませて貰い、大変感動した。
「どうしても之を本にして一人でも多くの人に読んで貰い難病に悩む
人々に、力づけて上げたいから、出版させてほしい。
臨終の寸前、、「お父さん、お母さん、有難うございました。サヨウナラ」。
と言って息を引き取ったそうです。
感想;
ロゴセラピー(ヴィクトル・フランク「夜と霧」著者)では、自分が人生に意味を見出して生きると言うよりも、人生が自分に尋ねてくると考えます。
自分に与えられた状況(病気だったり、離別だったり)で、自分がどう価値を見出して行くか、その選択の自由が人にはあると考えます。
価値には、以下があると言っています。
1)創造価値;何かを創りだす価値
2)体験価値;何かを体験することに価値がある
3)態度価値;その事象に自分が取る態度に価値がある
ヴィクトル・フランクルは、もう末期だと言う状況でも、態度価値が残っていると言っています。
石川少年は、寝たきりでしたが、態度価値を生み出すことができました。
そして最後まで価値を生み出し続けました。
石川少年の態度価値が多くの人に感動と、そして生きる意味を多くの人が考えるきっかけを与えたと思います。
この私でも、「価値を見出すことができる」と信じることから始まるのでしょう。聖書の言葉「信じる者こそ救われる」が力になるのだと思います。