「夜と霧」を読まれたクミコさんのメッセージ(ブログより引用)
夜と霧(クミコさんのブログ"人生は片道切符"より)
本で泣いた。しばらくぶりのことだ。
「夜と霧」という本。アウシュビッツで生き残った精神科医の本だ。
私は、生きることに「懐疑的」なタチなんだと思う。生きることに「斜め」な感じのニンゲンなんだと思う。
生まれてこないことが良いことだ、と思うニンゲンなんだと思う。そんな私が、生きることの「希望」を教えてくれる本で泣いた。
「人間とは何者なのか。ガス室を発明したのも人間。しかし、そのガス室に入っても毅然と祈りの言葉を口にするのも人間」
ここのところ、ずっとホロコーストの本を読んでいた。ドイツだけでなく、いろんな国で起きたユダヤ人虐殺。反ユダヤ主義のこと。
そうして、どんどん闇に入ってしまった。
人間て、なんなんだろう。
生きてるってどういうことなんだろう。
愛って、宗教って、なんなんだろう。
もうすっかりイヤになっちまう。
人間て、どうしようもない。
そんな時、この本に出会った。
収容所で死にかけている女性がいう。
「ここに来るまで、私は自分の内面をみることがありませんでした。
でも、今、あの大きな樹と私は話をしています。
あの樹はいうんです。私はここにいるよ、ここにずっといるよ。って」
大きな命は、そこにいる。大きな樹の形をして、そこに存在する。
そうして、絶望的な状況の中、彼女は希望に包まれ死んでゆく。
人間にとって「希望」ってなんなのか、「尊厳」ってなんなのか。
この本は、静かに教えてくれる。
それは、どんな時代にでもバイブルになるような言葉たちだ。
生きるのがシンドイ時に、思い返す言葉たちだ。
著者。ヴィクトール・フランクル。
穏やかにほほ笑むその人は、日本にも来たことがある。
そうして、90歳を過ぎて、天国に帰った。
生きよう。毅然と生きよう。
希望を育てよう。どんなときも希望を育てよう。
ヴィクトールさん、ありがとう。