ロゴセラピーにおける”コペルニクス的転回"

フランクル(夜と霧の著者、ロゴセラピーの創始者)
人生とは、「人生のほうから投げかけてくるさまざまな問い」に対して、「私が一つ一つ答えていく」ことだと考えたのです。
フランクルはこの考え方の逆転を"コペルニクス的転回"と呼びました。
収容所の人々にこの考えをあてはめて言うならば、
人生のほうが、「おまえはこの忍びがたい屈辱を忍ぶことができるか?」とか、
「おまえはこの別れの悲しみを乗り越えられるか?」とか、問うてきたわけです。
これに対して、彼らは、一つずつ、「イエス、自分は受け入れる」「イエス、それも受け入れる」と、答えていったのです。
そして人生からの問いかけに対して答えつづけた人だけが、全てではないにしても、過酷な試練を乗り越えて生きのびたのです。
逆に、途中で答えるのをやめた多くの人が生から脱落してしまったのです。

ニ度生まれ(ジェイムスが「宗教的経験の諸相」のなかで重要な言葉として使用)
人は生死の境をさまようほど心を痛み抜いたときに、はじめてそれを突き抜けた境涯に達し、
世界の新しい価値とか、それまでとは異なる人生の意味といったものをつかむことができるだというのです。
かれは「健全な心」で普通に一生を終える「一度生まれ」よりも、
「病める魂」でニ度目の生を生き直す「ニ度生まれ」の人生のほうが尊いと言いました。

悩みはない人生がよいと思いますが、悩みがあるからこそ、見えてくる・開けて来る人生がある。
その人生は、悩みがない人生よりも深いものがある。
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