映画 ”桜桃の味” ロゴセラピーは”夜と霧”の著者ヴィクトル・フランクルが始めた療法(日本ロゴセラピスト協会論集2号より)

日本ロゴセラピスト協会論集2号

ロゴセラピーは”夜と霧”の著者ヴィクトル・フランクルが始めた療法、生きるには目的が必要)

その本に映画「桜桃の味」のストーリーの紹介がありました。

http://www.asahi-net.or.jp/~we7n-hkt/kiarosutami.html

自殺しようと思った男性が、ちょっとしたことで生きる価値を見つけるお話です。

映画 ”桜桃の味”

 この作品は、一人の中年男(バディ)が、車を運転しながら自分の自殺を手伝ってくれる人を探してまわるという話です。

「私は、夜に睡眠薬を飲んで穴の中に横たわる。

そしたら君は次の朝に来て、穴の中の私を呼んでほしい。

返事がなかったらそのまま埋めてほしい」というのが中年男のお願いなのですが、

最初に頼んだ若い兵士には逃げられ、神学生には申し出を拒否される。

三人目の老人はこの申し出を受け入れるが、中年男に次のような話をします。

(パンフレット掲載のシナリオより抜粋)  

 一つ、わしの思い出を話そう。結婚したばかりの頃だ。生活は苦しく、すべてが悪くなるばかりだ。

わしは疲れ果て、死んだら楽になると思った。

もう限界だとね。ある朝暗いうちに、車にロープを積んで家を出た。

わしは固く決意してた、自殺しようと。

1960年のことで当時はミネアに住んでいた。わしは家の側の果樹園に入っていった。

1本の桑の木があった。まだあたりは真っ暗でね。ロープを投げたが枝に掛からない。

1度投げてだめ、2度投げてもだめ。とうとう木に登ってロープを枝に結んだ。

すると手に何か柔らかいものが触れた。熟れた桑の実だった。一つ食べた。

甘かった……。二つ食べ、三つ食べ……、いつの間にか夜が明け、

山の向こうに日が昇ってきた。

美しい太陽!美しい風景!美しい緑!学校へ行く子供たちの声が聞こえてきた。

子供たちが木を揺すれと。わしは木を揺すった。

皆、落ちた実を食べた。わしは嬉しくなった。

それで、桑の実を摘んで家に持って帰った。

妻はまだ眠っていた。妻も起きてから桑の実を食べた。

美味しいと言ってね。わしは死を置き忘れて桑の実を持って帰った。

桑の実に命を救われた。 桑の実に命を救われた。

 あんたはトルコ人じゃないから一つ笑い話をしよう。怒らないで……。

トルコ人が医者に言って訴えた。

“先生、指で体を触るとあらゆる所が痛い、頭を触ると頭が痛い、足を触ると足が痛い、

腹も痛い、手も痛い、どこもかしこも痛い。”医者は男を診察してこう言った。

“体はなんともない、ただ、指が折れている。”と。

あんたの体はなんともない、ただ考えが病気なだけだ。

わしも自殺しに行ったが、桑の実に命を救われた。

ほんの小さな桑の実に。あんたの目がみてる世界は本当の世界と違う。

見方を変えれば世界が変わる、幸せな目で見れば、幸せな世界が見えるよ。

 あんたは身体は悪くない。ただ、考え方が病気なんだ。

私も自殺しに行った桑の実で命を救われた。

ほんの小さな桑の実に。あんたの目が見ている世界は本当の世界とは違う。

見方を変えれば世界は変わる。

幸せな目で見れば、幸せな世界が見えてくる。人生は汽車のようなものだ。

前へ前へただ走っていく、そして最後に終着駅に着く。

そこが死の国だ。死はひとつの解決法だが、旅の途中に実行してしまったらダメだ。

 そこを左折するんだ。

ハンドルをきるバディになおも話しかける。

「希望はないのか?朝起きた時空を見たことがないかね?

夜明けの太陽を見たいと思わないか?

 赤と黄に染まった夕焼け空を、もう一度見たくはないのか?

月はどうだ?星空は見たくないか?

 目を閉じてしまうのか?そこは右へ行ってくれ。

あの世から見に来たいほど美しい世界なのに、

 あんたはあの世に行きたいのか。もう一度、泉の水を飲みたくないかね?

泉の水で顔を洗いたくないかね?

 そこを左へ。自然には四季がある、そして四季それぞれの果物がある。

夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の、春には春の果物が・・・」

  すべてを拒み、すべてを諦めてしまうのか?

  桜桃の味を忘れてしまうのか?

感想

桜桃はゆすらうめとも呼ぶそうです。

http://www.hana300.com/yusura.html 写真あり

ゆすらうめは実家にあり、5月頃に実を付けました。それを冷蔵庫で冷やして食べるのが楽しみでした。小さい時は”ゆすらんめ”と覚えていました。

死にたいと思う時はとっても苦しい時です。一人で考えているとますます苦しくなります。その苦しさに押しつぶされてしまいます。その苦しさから何とか逃れたい。その逃れる手段が死ぬことしかないと思います。

誰かに話を聴いてい貰う。電話でもメールでも。苦しさから脱出した人の話を知る。

五木寛之さんが「人生の目的」という本の中で、生きる目的は生きていることだと。生きていれば必ず状況は変わると。その時に生きていれば必ず道は開いて行くと書かれています。何も今できなくてもよい。生きているだけでOKなんだと。

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