キルケゴール 「幸せへの扉は外に向かって開く」
ロゴセラピーのセミナーで、講師の勝田茅生先生がキルケゴールの言葉と、そして下記の言葉を紹介してくださいました。
「幸せと言うのは、それを追いかければ追いかけるほど、遠のいてしまうものなの。これを理解するためには、人間というものが根本的に幸せになろうと懸命になっているという先入観を取り外す必要がある。実際に人間が欲しいと思っているのは、幸せになるための「根拠」だ。そして、一度その根拠を手に入れたら、そのあとは自然に幸せな気分がやってくるわけだ。幸せと言うのは、結果として起こるものであって、幸せ自体と目標にすることはできないのだ」(ヴィクトル・フランクル;「夜と霧」著者 & ロゴセラピー創始者)
感想;
そして、今自分に与えられた幸せがある。その幸せを生かして自分が努力してそ幸せをさらに大きくできる幸せがあると説明されました。与えられた幸せとは今このようにブログの記事を書くことができることも一つだと思います。そして、ブログを書くことが努力になるのでしょう。
このキルケゴールの言葉は、「自分の為にではなく誰かのために社会のために何かをした、その根拠があれば人は幸せになれる」とのことです。
自分が幸せになろう、幸せになろうと思っていてもなかなか幸せになれない。視点を変えて、自分の幸せをとりあえず棚において、周りの人の幸せを、つまり外に向かって幸せを生み出すことをして行くことが、自分の幸せになって行くのだということなのだと理解しました。
天台宗の言葉に「亡己利他」があります。幸せを求めることは、己を忘れて周り(他)を利することであると。他がまさにキルケゴールの外に向かって扉を開くことなのでしょう。
キルケゴールでネットで検索すると下記のサイトがでてきました。キルケゴールの婚約破棄のことです。様々な体験から生まれた言葉なのだ思いました。
http://d.hatena.ne.jp/nuhsnuh/20131104 より一部引用
セーレン・キルケゴール (1813-55) の生涯におけるもっとも重要な出来事は、周知のように、婚約破棄の事件である。キルケゴールは、一八三七年に知り合いの女友達を訪ねて、そこで計らずも生涯の運命を決定することになった一少女レギーネ・オルセンにめぐり合い、そのレギーネと、一八四〇年九月に婚約したが、しかし一年後の翌一八四一年八月十一日、突如、次のような手紙を添えて婚約の指環を送り返し、十月十一日、正式に婚約を破棄したのであった。
「結局は起こらずにはすまないことを、そして起こってしまえば必要なだけの力を与えるであろうことを、これから先なお幾度も試してみたりなどしないために、いまそうすることにします。何よりこれを書いている者のことなど忘れ去ってください。ひとかどのことができるのに、ひとりの娘を幸福にすることのできなかった男を許してください。
絹の紐を送ることは、東の国では、それを受けとる者にとって、死刑を意味します。指環を送ることは、ここでは、きっと、それを送る者にとって、死刑となることでしょう。」
この言葉を与えたきりで、理由も明かさず一言の弁明もせず、一方的に婚約を破棄してしまったのであった。
感想;
婚約者のレギーネの日記も紹介されていて、婚約破棄までは二人の間でいろいろあったようです。