ロゴセラピー入門シリーズ3「精神の反抗力と運命/喪のロゴセラピー」より引用
ある日5歳の少女がルーカス(ヴィクトル・フランクル「夜と霧」の弟子)のセラピーに連れてこられた。この少女はひどい自動車事故に遭い、その際、同乗していた両親もきょうだいもすべて失ってしまったのでした。少女は情緒不安定ではありませんでしたが、いったい自分の身に何が起こったのか、まだその現実をつかめないでいるようでした。状況があまりに悲惨なために、事故の後でまだ誰もこの幼い少女に、この状況についてどのように考えたらよいかを話すことができませんでした。
この文を読んでいられるあなたがセラピストだとしたら、その少女とどのような話をするのでしょうか?「お父さんもお母さんもきょうだいもみんな、とても素敵な天国で楽しく暮らしているのですよ」と言って聞かせるでしょうか?そうすると少女は、「じゃ、私もそこに行きたい」と答えるかもしれません。さらに「どうして皆、私をおいてきぼりにして、素敵なところに行ってしまったの?」と正当な質問をぶつけてくるかもしれません。
ルーカスは、ここではいい加減な作り話や安易な慰めは避けようなくてはならないと思いました。そして少女の小さな手をとると、家族がまだ健在でいる頃、どんなことをして遊ぶのが一番楽しかったかと尋ねました。少女は夏に近くの湖に皆で泳ぎに行ったことがとても楽しかったと答えました。そこでルーカスは、少女に静かに話し始めました。
「ある日、あなたはパパとママとお兄ちゃんとでまた湖に出かけることにしたとします。家を出ようとしたときにママが『ああ、ベランダの花に水をやるのを忘れた。今日は暑いから、私たちが戻るまでに花は枯れてしまうかもしれない』と言いました。ママは『あなたたち、先に行っていて! ママは水やりしてからすぐに行くわ!』と言いました。そこであなたがママに言いました。『ママ、今日は私が水やりするから、ママは皆と先に行っていて! 私はそれをすませたら、すぐに追いかけて行く!』。それと同じことがこの事故で起こったのです。わかりますか?あなたにはまだ何かの役目が残されているのです。その仕事が何だか今は誰にもわからない。でもあなたがこれから生きて行く道のりでいつか、『ああ、このことのために私は一人で残らなくてはならなかったのだ』と気づくことが必ず出て来るはずです。わかりますか?」
少女はルーカスを大きな目で見ながら小さな頭をこっくりと動かしました。
人生の方から、自分に尋ねて来ます。この状況の中、どう生きて行きますか?私たちには、どのように生きるかの選択肢の自由があります。過酷な状況を恨み生きる。その状況の中で何か自分ができることがあると信じて生きる。ロゴセラピーは人生が自分に問いかけてくると考えます。
ヴィクトル・フランクル(「夜と霧」の著者)はナチスの強制収容所でいつガス室に送り込まれるかわからない過酷な状況の中で、生きてこの収容所を出て、母と妻にぜったいに再会するのだとの願いを生きがいに生き続けます。多くの人が倒れ、ガス室に行かされました。
戦争が終わり、収容所から出たフランクルを待っていたのは母と妻が死んでいたとの冷酷な事実でした。それはフランクルが自殺も考えるほどの衝撃でした。その中で、フランクルは絶望の中にも自分の新しい課題を見つけようとしました。愛する家族にはもう再び逢うことができません。そこで彼は、収容所で没収されたロゴセラピーの原稿にせめてもう一度生命の息吹を与えたいと考えたのでした。そして、その苦しみの炎の中からロゴセラピーは不死鳥として蘇ることができたのです。
それがその後どんなにたくさんの苦悩する人間を救うことになったか、フランクル自身は知ることができないでしょう。そしてまさしくフランクル自身が地獄のような苦しみと絶望を味わったということが、ロゴセラピーの信憑性を裏づけているのです。
感想;
今どうすることが自分にとって幸せな選択肢になるか。過去に囚われて苦しむ。それは不幸せな選択肢なのでしょう。まだわからない将来を心配して今の生活が不幸せになっている。幸せになりたいのに過去の後悔に囚われ、未来の不安に囚われて今不幸せになっていないでしょうか。今どうすることが幸せになるかを考え行動することなのでしょう。