「福島、飯館 それでも世界は美しい −原発避難の悲しみを生きて−」 小林麻里著

著者は2007年3月に夫を45歳で亡くしました。2004年6月に結婚して名古屋から夫が暮らしていた飯館村に移住しました。
夫は2000年の末にロシア語のニュース翻訳の仕事をやめて「百姓になる」という決意のもと東京から移住して、自然卵養鶏の仕事をしていました。
夫の死後、著者は森の中の一軒家にひとりぽつんと残されて途方に暮れてしまいました。
どうしても夫が遺していった場所から去り難く、1年、また1年と過ごして来ました。そして、東北大震災、福島第一原発事故に遭遇しました。

5月24日の日記より;
思考を停止させよう。今は考えても答えは見つからないから。
目の前にあることをこなして、ただ生きていよう。タビ、うず、クロ(ペット)のために生きよう。
先のことは一切考えない。心が壊れてしまわないために・・・。

震災直後の様子を、通信「青いそら」(2011年6月No.16)に事務職員の菅野よし子さんとヘルパーの小村哲子さんが次のように書いています。
某社の社訓に「船上の人」というものがあるそうで、おおよそ次のような内容である。
航海中に嵐に遭遇し、船体が大きく傾くという状況に陥ってしまった。さあ、船員たちのとった態度は概ね3通りだった。
1)咄嗟に逃げる者
2)進退を決めかねて迷ったり、様子を見守ろうとする者
3)なにはともあれ、沈没を避けるために、水を掻き出す者

傷ついた言葉(夫が亡くなって)
1)「もう1年過ぎたのだから」
2)「がん検診を受けて早期発見できればよかったのに」
3)「彼の分も長生きして」

私がこれまでの人生で苦しみの中にあるときに繰り返し読んで心の支えとしてきた、強制収容所からの生還者であり、
「夜と霧」の著者である精神科医V・E・フランクルの講演録「それでも人生にイエスと言う」には次のようにあります。
「生きることそれ自体に意味があるだけでなく、苦悩することにも意味、しかも絶対の意味があります。
ですから、その苦悩に外面的な成果がない場合、したがって苦悩がむだなものに思われる場合でも、その意味を実現することが可能です。
そして強制収容所で経験されたのは、とりわけそうした苦悩だったのです。
中略 人生からまだ何か期待できるとか、だれか、またなにかが自分をまだ待っているとか・・・。」

汚染されているのはあの場所なのではなくて、こんなことか起こってしまってもなお、
経済成長のために原発はひつよと思い込んでいる私たち人間の心なのだと思う。
私たち一人ひとりの心の中の汚染を消さない限り、放射能汚染はどんどん広がり続けるだろう。
私たち一人ひとりの決意にすべてが懸かっている。

感想;
この本は、これまでの著書の全ての体験があったからこそ、出版され私も読むことができました。
この本を読まれ、ほっとされたり、元気を貰うことができたら、それはとても素晴らしいことだと思います。


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