今伝えたい「いのちの言葉」 細谷亮太著 ”神様との約束を果たすこと”

聖路加で小児がんの治療に携わって来られました。
当時は子どもたちを助けることができませんでした。
失意を胸に渡米して米国の最先端の小児がん治療を学び帰国しました。
今は7割まで治癒するようになりました。
亡くなって逝った子どもたちへの思いや子どもたちとのエピソードを紹介されています。

亡くなった200人の子どもの名前を書いたリストを持ってお遍路巡りをされたそうです。
・入院経験のある子どもたちや重い病気から立ち直っていった子どもたちは、自分のぐあいが悪かったときに人からしてもらったことが身に染みてうれしくて、
 だれかのためになにかをしてあげたいという気持ちを強く持つようになるのです。

子どもたちの発言
 「家族の中で自分がいちばんがまん強い性格だから、もし家族のだれかが病気にならなければいけないとしたら、自分でよかったと思う」
「病気になってからいろいろなことがわかった。病気になってかえってよかったのかもしれない」
「病気はとてもつらくて不幸なことだから、すすめられることではないけれども・・・、自分が病気になったのは、自分にとってはよかったと思う」
「もし病気になっていなかったらグレたとと思うけれども、変なことにならないで自分がちゃんとしたおとなになろうとしているのは病気のおかげだ」

 でも結局は亡くなってしまった子もいます。

お釈迦さま「中部経典」の中で「過去を追うな。未来を願うな。過去は過ぎ去ったものであり、未来は今だ到っていない。
現在の状況をそれぞれよく観察し、明らかに見よ。今なすべきことを努力してなせ」

聖書にも「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイによる福音書6−24)

・私は、死んだら、私のことをいちばん大事に思ってくれる人たちがあの世の入り口まで迎えてくれると信じています。
 そう信じることは、とても大事だと思います。「信じる人は幸いだ」と言いますが、やはりそうなのです。
 信仰心を持てるということは、人間だけの特権です。

・エッセイに麻意ちゃん(死亡)のことを書いていました。
 秋田の大学病院の先生から頼まれて「小児科医になる人が少ないので、小児科医になって秋田にとどまることが大切と話して欲しい」と話をしに行ったそうです。
 終わって医局にもどったら、医局員の女医さんが、麻意ちゃんのおかあさんに小1の時に教えて貰ったと言われました。
 麻意ちゃんが病気になって先生を辞めても女医さんにとってとても良い先生だったので年賀状をずっと出していたそうですが、引っ越しでわからなくなったそうです。
 そこで麻意ちゃんのお母さんに電話して、その女医さんと電話を交代しました。
 お母さんから「自分は六十歳になって定年を迎え、最近はすごく落ち込むことが多かったけど、今日はとってもいい日になった」と言ってくれました。
 麻意ちゃんが私たちを結びつけてくれたのです。

・柳田邦男さんは「今を一生懸命に生きれば、不幸は必ず幸福に姿を変える」という意味のことを言っています。
 柳田さんの言われる一生懸命とは、今の自分の置かれている境遇に不満を抱くことなく、自分のできることを精一杯するということだと思います。

小学校4年生のときに神経芽腫という小児がんが見つかったまみちゃんは病院が大嫌いでした。
結局自宅で診ることになりました。
まみちゃんが看護師に「ねえ、私、いつまでがんばればいいの?」と聞いてきました。
看護師さんは思わず胸がつまり、泣きそうになりました。
また痛みがはじまり身体がかなり弱っていました。
「後で細谷先生に聞こうね」と答えたそうです。
その日の夜中にまみちゃんのぐあいが悪いと連絡が入り、私はまみちゃんの家に往診に行きました。
「まみちゃん、どれくらいがんばればいいかは、神様が決めてくれる。
まみちゃんが耐えられるほどの苦しみしか神様はくれないから、心配しなくていいよ。
だいじょうぶ、もうがまんできないと思ったときは、きっと楽になるからね」。
まみちゃんは大きくうなずきました。
それから二時間ほどで、まみちゃんの苦しみはなくなりました。

感想;
生きたくても、生きられない子どもたちがたくさんいます。
きっと神様との約束を果たすために生まれ、そしてその約束を果たしたのだと思います。
その約束とは、遺された人にいのちの大切さを伝えることではないでしょうか。
いのちは長さではなく、何をなすかでもあるのだと思います。
亡くなった子どもたちからメッセージを貰った人は、神様との約束を思い出して生きて行くのだと思いたいです。


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