「二分の一成人式で伝えたい いのちの話 未来を生きるきみたちへ」 鎌田 實著
二分の一は10歳の子どもに伝えたい“いのちの話”です。
鎌田先生は養父母に育てられました。生まれて間もなく両親が育てられなかったようです。
大学に入りたいと父親にお願いしたら、ダメだと。お金がなかったからです。
その時、鎌田さんは父親の首を絞めながら、僕の人生を邪魔しないで欲しと叫んだそうです。直ぐに手を緩め、二人で泣いたそうです。
父親から「お前が自由にいきたらよい。ただ、お金の支援はできない」
必死で勉強し、東京医科歯科大に入学しました。
タリバンに狙撃されたマララ・ユスフザイさんの国連で、16歳での講演の内容
「自分を撃ったタリバン兵士を私は恨みません。
もしその兵士が目の前にいて、私が銃を手にしていたとしても、私は彼を撃たないでしょう。
なぜなら銃よりも本とペンのほうが強いからです。
タリバンが恐れているのは教育の力です。女性の声です。
彼らは教育がもたらそうとした自由や平等を恐れるから、学校を破壊するのです。
自分を撃ったタリバンの息子や娘たちにこそ、教育が必要だ」
もし、彼女が銃で復讐をしたら、今度はその兵士の仲間や家族が、殺した彼女を憎むでしょう。
そして憎しみと暴力の連鎖はいつまでも続きます。
12歳のアハメド君は買物に出かける途中でイスラエル兵に撃たれてしまいました。
近くの病院に運ばれましたが、手に負えないとのことで設備の整ったイスラエルの病院に運ばれました。
お父さんはアハメドを助けてくれるなら、敵の病院でも何でもいいと思ったのです。
しかし、その病院でも助けることはできませんでした。
脳死と診断されました。イスラエルの医師から「残念ナガラアハメド君をもう助かりません。
この国には重い病気で苦しんでいる子どもがたくさんいます。その人たちは臓器移植以外に助ける方法がありません。
その子たちにアハメド君の臓器を移植させてもらえないでしょうか」
息子の臓器はイスラエル人に移植されるかもしれないと言うのです。
アハメド君のお父さんは、つらい気持ちや迷いを振り切って、最後にはイスラエル人の医師の申し出を承諾しました。
6人のイスラエル人に移植されました。
そのうち5人の子どもたちの命を救うことができたのです。
お父さんがいちばん迷っていた心臓は、イスラエル人の12歳の少女に移植されました。
鎌田先生は、5年後、そのお父さんに会いに行き尋ねました。
「息子を殺した国の人に息子の臓器をあげるなんて、ぼくだったらとてもできないと思います。どうして決断できたのですか?」
「海でおぼれている人がいたら、泳げる人は海に飛び込む。そして、助けようとする。人間として当たり前の行為です。
目の前でおぼれている人に向かって、あなたの国籍はどこ?宗教は何?などと訊く人がいますか。
助けを求めている人がいれば手を差し伸べるのが当たり前です」
心臓を移植された女の子は17歳になっていました。
彼女は移植する前は遊ぶことも階段を上がることもできず、長く生きられないと思われていたのですが、
今ではすっかり元気になり、彼女は大学の看護学部をめざして勉強していました。
感想;
憎しみの連鎖はどこかで切断しなければつながって行きます。
ナチ強制収容"アウシュヴィッツ”のガス室には”蝶”の絵が描かれています。
ガス室で死んでいった誰かが描いたのでしょう。
蝶は古代から、”再生のシンボル”として知られています。
エリザベス・キューブラ・ロス女史がアウシュビッツ強制収容所を訪問した時、そこをガイドするボランティアの女性がいました。
彼女はアウシュビッツ強制収容所で生残った一人でした。
「怒りはどこかで断ち切らないといけない」とロス女史に話しました。
蝶が飛び立つイメージは魂が怒りを脱ぎ去り天国へ旅立つイメージをロス女史は抱き、キューブラセンターの象徴にしました。
鎌田先生は、このような話を紹介し、10歳の子どもたちにいのちの大切さを知って欲しいのだと思います。
そして、いのちを大切にする大人になって欲しいとの願いを込めて書かれているのだと思いました。