大切なものを失くして 旧約聖書ヨブ記から

人は誰でも大きな悲しみに出会うと、苦しく、かつ正常な判断は難しくなります。
そんな時、支えあうシステムがあり、また相談できる方法があるとよいのですが。
誰かに話を聴いて貰うと少し負担が軽減されることがあります。
そして、普段からこころのケアについて考えながら生きて来たかどうかも大切だと思います。

大切なものを3つあげてみてと言われたら何をあげられますか?
もしそれを失くしてしまったら、いかがでしょうか?

それを考えるといつも思うのは、旧約聖書のヨブ記です。
ヨブは神を敬虔に信じる者でした。
サタンが神に、
「ヨブは幸せが与えられているから神を敬っているんだ。それを失えば神を敬わなくなる」
とささやき、ついに神もヨブを試してみます。
先ずは財産を失くします。ヨブの気持ちは変りません。
神は「サタンにヨブは本物だ」と。
サタンが「財産なんて小さなもの、財産より大切な子供を失くしたら」と。
次に子どもを殺します。ヨブは苦しみます。でもヨブは神を信じるこころを守ります。
サタンが、「自分が苦しくないからだ」と。
とうとう、ヨブを病気にさせ苦しめます。体中から出来物や痛みが襲います。
友達が「何か神に対して悪いことをしたのでは」と言いに来ます。
ヨブも迷います。悩みます。そして最後は神を信じます。神に全てを委ねます
ついにサタンも去って行きます。

宗教を本当に信じている人が精神面で強いのは、
ヨブのように神(仏)を信じていることが支えになるのではないかと思っています。

人は辛いことがあると、その辛いことにより更に悪い状況を生み出す可能性があります
例えば、妻を失った夫が辛く食事が喉を通らなくなり、健康を害してします。
(あるいは、食事をきちんと作らない、摂らないために)
その為には妻を亡くした夫はどちらかというと早く亡くなる傾向があるようです。
一方、妻は食事は自分で創れるので食事はあまり変らないので、喉を通るかどうかは別にして、
食事による影響は男性より少ないです。

つまり、あることが起きたためにそれに付随していたことも変ってしまうことがあります。
あるいは、自分からさらに悪くしてしまう場合があります。
宗教を持っている人は、あることが起きても、
付随することによるマイナスを最小限にしているのではないかと最近思うようになりました。

宗教を持っていなくても、全てを任せる気持ちを持つことができたら、
つまりあるがままに生きる気持ちを持てたら、生きられるのかと思うこのごろです。
さらに、失ったことにも何か意味があると受け容れ、新しい生きる意味を見出せたら
その失ったことが大きな意味を持つことにもなります。

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