入院児と遊ぶボランティア
8年間入院児と遊ぶボランティアを東京医科歯科大付属病院小児病棟でやりました。
東京医科歯科大には血液のがんの患者さんが多く、全国から来られています。
がん治療は大人でも苦しいと聞いています。
子どもにとっても苦しいです。遊びたくても遊べない。
1回/週ですが、土曜日の午前1時間半ほど一緒に遊びます。
工作もします。万華鏡を助成金をいただき材料を買って作ったこともあります。
流れる万華鏡でとてもきれいです。
私は主にゲームを一緒にやっていました。
遊んでいる子どもの笑顔はすてきです。
その笑顔を見ている母親も嬉しそうです。
子ども遊んでいる間に、買い物したり、お風呂に入る方もいらっしゃいます。
なぜなら、いつも子どもと一緒だからです。
小児がんは昔は100%亡くなっていました。
聖路加病院の副院長の細谷先生は、子どもを助けられない無力感で当時いっぱいだったそうです。
今は抗がん剤も開発され、70〜80%は助かるそうです。
でもまだ、20〜30%は亡くなっています。
私が一緒に遊んだ子どもさんも亡くなったことがありました。
種をまく子供たち(小児ガンを体験した七人の物語)佐藤律子編
本より引用;
残りの人生で、18年分を感謝したい。今までは俺が生き残れるとか、俺がどうとか、自分のことばかりだった。けれどまわりの人がいてはじめて、自分が生きていけることに気付いた。それは治そうとすることも目的にあるのだけれど、それだけでないことを知って欲しいんだ。
娘は、「少し休んだら、また、頑張るから・・・」といって旅立ちました。この言葉に、「私は負けたんじゃない」という娘の強い想いを感じています。「つらくても、苦しくても、それが生きているってことだよね・・・・」娘がよく口にした言葉です。
はじめて病気の状況を知ったとき、僕は「翼をください」という歌を思い出しました。そして退院、家での生活がはじまりました。その時の僕には、絶望、あきらめ、憎しみしかありませんでした。・・・病院を出るたびに絶望が頭の上に降り積もっていくようでした。
何故、私は小さい時に大病(死ぬかもしれぬ病気)にならなかったのか。
私の子どもは大病にならなかったのか。
そう考えると、生きているだけで感謝だと思わざるをえません。
そして、社会で働きたいと思って亡くなって行った子どもたちのことを思うと、
私は亡くなって逝った子供たちの思いを、子供たちが撒いた種を育てることは私ができることではないかと思います。