本の紹介&感想
「本能寺の変431年目の真実」 明智憲三郎著 "歴史は征服者が創る”
明智光秀が信長への恨み、丹後などの領地を取り上げられることへの不満などが通説になっています。
明智光秀のような才智満ちた武将が怒りで信長に反逆を起こすだろうか?との疑問を持っていました。
今回の新説はなるほどと思わせる内容でした。
反逆を起こさせた理由;
1)信長は朝鮮、中国に派兵を考えていてその先鋒に秀吉や光秀など、織田一族でないものを使おうとしていた。
それを阻止したかった。
2)明智との盟友だった長宗我部を滅ぼそうとしていたので、それを阻止したかった。
長宗我部が滅びることは明智が弱体することでもあった。
3)信長は家康を殺害するつもりで、光秀と順慶に指示をだしていたのではないか。
家康が少人数で京都、大阪を訪れさせていた。
そして本能寺の変の当日、家康と順慶を持てなす予定をしていて、そこへ、光秀に家康を殺害するように指示をだしていた。
家康を殺害した後、直ぐに家康の岡崎を攻撃させる予定であった。このチャンスを逆に活用して信長を殺害した。
4)光秀の計画は事前に考えており、盟友の細川に伝えていた。細川は裏切って秀吉に伝えていた。
秀吉はその準備をしており、本能寺の変が起きたことを知り、直ぐに大阪周辺にいる武将に協力依頼を出していた。
5)家康も光秀の反逆を知っていて、本能寺には向かわずに伊賀越えをしたが、伊賀者服部が手伝った。それも分かった上だった。
6)秀吉がまとめさせた「惟任(光秀)退治記」は秀吉を崇め、光秀をおとしめるためにでっちあげたものである。
7)春日野局は、光秀の片腕であった斎藤利三の娘 福(春日野局)を家康の孫 竹千代(家光)の乳母に採用した。
反逆者の大物の一族を大切な孫の乳母にしたのは異例ではないか。
実は福は光秀の母だったとの説を紹介している。また、明智の一族土岐明智を取り立てた。
8)家康は信長が自分を暗殺する計画を知っていて、罠に引っかかったように見せかけ、
光秀が行うことを支援し、実は光秀が秀吉に討たれることまで考えていた。
それは盤石な信長を倒し、混乱をもたらしたかったからで、本能寺変後、直ぐに甲斐、信州を攻撃し自分の支配下とした。
それはその後の話し合いでも認められた。
感想;
歴史は、征服者が自分の都合のよいように作ることの典型のように思いました。
この新説の方が納得が行くものでした。
この新説は残っている記録、その中には宣教師が書いた記録なども調べておりなるほどと思うことが多かったです。
この新説に是非、学者が意見を出して欲しいと思いました。