本の紹介&感想
「肩書き捨てたら地獄だった 挫折した元官僚が教える『頼れない』時代の働き方」宇佐美典也著 ”キャバ嬢のコンサルティング”
東大卒・元官僚、自信に溢れたエリートが肩書き捨てたら、まったく社会に通用しなかった!
大きなプロジェクトを担当し300億円というお金を動かしていた。
辞めても十分やって行けると思ったが、実は官僚との肩書があったので会社や人と繋がっていて、それがなくなると相手にして貰えなかった。
官僚時代のことを気遣って会ってくれる人もいたが、提案する企画には賛同を得ることはなかった。
そして、とうとう残金2万円足らずまで落ちてしまった。
それから2日間、引きこもったまま、ほとんど寝られず、酒を飲みながら無為に時間を過ごした。
「このままオレの人生はうだつが上がらないまま終わってしまうのか」「官僚を辞めなければよかったのだろうか」、
そんなことばかりを繰り返し考えていた。
ふと、部屋に素早く動く生き物が目に留まった。真っ黒なゴキブリ。
「コイツの生命力はスゴい。何千年、何万年もこうして人に忌み嫌われながらも生き抜いてきた。
自分も生き抜くためには、コイツに見習わなければならない」そう感じた。
・プライドを捨ててどんなことでもやって行こう。
経歴だろうが人脈だろうが、活かせる過去の資源があるのなら、躊躇なく使って使って、使い倒そう。
・過去の手法だけに頼るのではなく、今の自分を発信し続けることで、新しい「自分」というブランドに依拠した人間関係を作って行こう。
・とにかく汗をかいて、動き回って、這いつくばってでも人生の活路を見つけよう。
自分の力で稼ぐということにあこがれていたので、在職当時から準備としていくつかの取り組みを始めていた。
・ブログ
・起業計画
ブログは「現役官僚ブログ」として人気を得ていた。
出版社から本にしないかと話しが来て、「30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと」で出版した。
企業計画は出資してくれる会社や協力してくれる人も見つかったが、退職後いざ始める段になり出資会社の意思疎通ができず、挫折した。
そこで以下の方針を定めて活動を行うことにした。
・不特定多数を対象にブルグで情報発信
先ずは自分を知って貰う。
・ツイッターを通じ、継続的な情報源に
個人の活動の履歴を知って貰う。
・専門知識はメールマガジンで
800円/1か月の購読料を得ることにした。
ブログに、20代半ばの女性経営コンサルタントの飲んだ時に、
彼女が学生時代に働いていたキャバクラでNo1になるために考えた戦略がとても面白かったのでそれぼブログに書いた。
六本木や歌舞伎町のキャバクラで働きだしたが、この界隈はどうしても裏社会の客が多く、身の危険を感じた。
そこでたまに来る良質な客が、普段どこで遊んでいるかをリサーチしたところ、丸の内、その周辺の神田と言う結論に辿り着いた。
そこで神田に移ると、丸の内に勤めている部長クラスのサラリーマンがストレス解消に来るパターンが多く、安心して働ける環境だった。
先ずは店内の観察に集中した。キャバ嬢は席に着いてから客と話せるのは長くて5分程度だとわかった。
そこで次に「短い時間でどうやって相手に自分を印象づけられるか」を考えた。
先ずは学生の特権を生かし名刺に差別化して同席したお客さんの悩みに対してヒントになる諺や印象に残る名言を書くようにした。
自分に興味を持ってくれた客に「自分がなぜキャバクラで働かざるを得なくなったか」という嘘のない範囲で物語を話せるようにした。
「お金がなく休学しているが、本当はアメリカで勉強し、日本の良さを世界に伝えて行きたい。そのためにここで働いている」
そうすると応援する(指名してくれる)お客さんが増えてきた。
指名が増えてからは特定のお客さんの売り上げを大きくせず、なるべく薄く広く定期的に指名してくれる人の数を増やすことにした。
3か月経った頃にはNo1の地位を確立し、1,000万円以上の年収を稼げるまでになった。
この話をブログに載せたら、キャバ嬢からコンサルティングをして欲しいとの依頼が仕事として始めてきた。
一人で闘うために
・一人になったときにそのまま市場で通じる能力とは、結局のところ退職前に当たり前のようにこなしていた「仕事」にかかわる能力である。
・サラリーマン時代に培った人脈は、おおむね所属していた「組織」のブランドに強く紐づいているため、一人になったときにあまり頼りにならない。
・強く生きるためには、自分と言うブランドがどうあるべきかを常に意識し、構築していく。
・セルフブランディングは自分の独りよがりにしない。周りの反応を見、対話しながら積み重ねて行く。
・セルブランディングの最終目標は、背伸びしない自分をそのものを理解して貰い、他人を巻き込み、応援して貰えるということ。
・仕事を得られるそうになったら、さらに安定し、発展を遂げるためにも、仲間を募り、パーティーを組むことを考える。
地獄と言えば、いまでも忘れられない思い出がある。
ある仕事の関係で、数か月、新潟県に滞在していた。残り1週間あるのに、1,000円しかなかった。クレジットカードも限度いっぱい使っていた。
窮したあげく、なにか良いアイデアでも得られればと、その悩みをFaceBookに書き込んだら、この数年、会ったこともなかったような友人が反応してくれた。
「宇佐美君大丈夫か?オレの親が君の近くに住んでいるから、いまから教える番号に電話しろ」
電話したら、友人のお母さんが駆けつけてくれ、食材と調理器具を持って来て台所でカレーを作ってくれた。
これ以降も何度友人に食事をおごって貰ったか分からない。人や仕事を紹介してもらことなど数えきれない。
部屋の片隅にうずくまっていた状況から、人の情けに助けられ、こうして本を出すまでになったことには感慨を覚えずにはいられない。
私は肩書きの上に成り立っていた人間関係が崩れていく過程で、
「世の中は非情だ」「誰も自分だけが大事で、他人のことを考える余裕なんて無い」などとひねくれていた。
それがこうした体験を通していくうちに、「人とは助け合って生きていくものであり、これこそが本来の姿だ」と考えが大きく変わるようになった。
感想;
私も60歳の定年扱いで退職し、自営業を始めました。
前の会社では品質保証部長の肩書で、社内や取引先などからは、とても気を使われていることを感じていました。
でもそれは前の会社の肩書があったからだということを退職後に実感しました。
それは退職する前からわかているつもりでしたが、実際にそのような態度をとられるとやはりそうだったかと寂しい思いをしました。
しかし、その中でも、変わらないで付き合ってくれる人がとてもありがたく思いました。
著者が書かれていた、前の会社での専門を生かす。Webから発信して行く。これは実際に行ってみて、その通りだと実感しています。
Webを見て、今では5社からセミナー講師の依頼を受けるようになりました。
ただ売れない芸人の心境でいつ依頼が途絶えるかとの不安を抱えながらですが。
言えることは一つひとつを精一杯していくことなのだと思ってます。
「大事は細部に宿る」