「Aの人生」 藤子不二雄A著
藤子不二雄で藤子F不二雄さんと二人で富山から手塚治虫氏がいたトキワ荘にきて漫画家として多くの作品を出しました。
53歳の時に二人はそれまで一緒に活動していたのを分かれてマンガを描きました。忍者ハットリ君、ゴルファー猿、笑ゥせぇるすまん、怪物くん。
富山県の氷見市の曹洞宗のお寺に生まれたが、小学校の時父が突然亡くなり、親族を頼って高岡に引っ越し、そこで藤子F不二雄さんに出会いました。
高校を卒業して新聞社に勤めていましたが、藤子F不二雄さん(高校を卒業してからマンガ一筋でマンガにかけていた)に誘われて上京しました。
上京はとても迷ったそうです。マンガは藤子F不二雄さんの手伝いを休みの日に行っていただけで、やって行ける自信はなかったそうです。
人生何がきっかけでどうなるかはわからないですね。
父親が亡くならなければ、お寺を継いでいたかもしれません。藤子F不二雄さんに出会うこともなかったです。
上京を誘われた時、断っていたら今がなかったのですから。
人生に大きなピンチが三度あったそうです。
一つは漫画家を目指して上京し、半年でたちまち売れっ子になったのに、次の年の正月、その仕事の大半を落とした(穴をあけた)時。
そのために出版社からの仕事が失くなってしまいました。
二回目は50歳を過ぎた時に妻が脳内出血で倒れ、幸い命が助かったが左半身が動かず、失語症になったそうです。
リハビリでかなり回復したそうですが、片方の手が動かないままだそうです。
それがきっかけで全国失語症友の会に入り、世界失語症大会のドイツでの大会まででかけたそうです。
三回目は、藤子F不二雄さんと離れて独立して仕事をした時だそうです。
藤子F不二雄さんは、ドラえもんでとても人気が出ていたので、一人でやっていけるかの不安があったそうです。
小学校の時、学校で下記の言葉を先生から教えられ、今日を精一杯してきたそうです。
「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかな」(親鸞の言葉)
ある時、映画を見ていたら、その中で次の言葉が出て来たそうです。
「明日にのばせることは今日するな」
それから気持ちの持ち方が気楽になったそうです。
この本は、藤子不二雄Aさんのエッセイで楽しく読めました。
そして最後に、なにかで悩んだら「明日にのばせることは今日するな」を何回も呪文のように唱えてくださいと締めくくられていました。