「読書術」 加藤周一著
「読書術」 加藤周一著
どこで読むか
"読書は愛のいとなみ"
「読書と愛の行為は似ている。社会の全体から切り離されて、あなたはただひとりの相手との関係のみに生きる。
その関係において、あなたは多かれ少なかれ積極的な役割を演じるので、
けっして映画見物の場合のように、完全に受け身ではありえないでしょう。
相手は策略を弄し、伏線をはり、秘密を暗示しながら、それを明かさずにじらし、
ついに秘密を明かす時にはその効果の最大であるように工夫をこらします」
読書は場所を選ばない。どこでも本を読むことができる。本一冊あれば、人や何かに待たされる時間も気にならない。
寝ながら読んでも、旅の乗り物中に読んでも、どこで読んでもよい。
通勤時間が往復2時間であれば、月におよそ48時間(2日)、年に24日、およそ1か月を読書の時間に使うことが出来る。
この時間を何に使うかはまさに生き方の問題にもなる。
どう読むか、その技術
遅く読む/早く読む。一冊をじっくり読む。何度も読む本があってよい。
例えば"論語"、"聖書"などは繰り返し読むことで自分のものになっていく。
自分を発見するために古典を読む。古典は世界を知るための最低条件であるかもしれない。
例えばマルクスとエンゲルスが書いた本なども。遅く読む本も必要になって来る。
一方、早く読む本もある。早く読むことで多くの本を読むことができる。早く読むことで逆に理解が進むこともある。
本をたくさんよむには同時に数冊読むのがよい。同時に読む本が違っていると興味が新鮮に保たれる。
たくさん読むことで全体を知ることにもなる。
本を読まない読書術。何の本を読むかの目的が明確になった特定の本を選びだし、
そのほかのいっさいを無視するのが「本を読まない法」の根本です。書評を読むとその本を知る一つの方法である。
難しい本を読む。わからない本は読まない。わからないのは書き手が難しく書いている場合もある。
また、その本を読むための基礎知識があなた側に不足している場合もある。
あなたに必要な本は難しくない。
求めよさらば与えられん。求めている人が「ロマ書」を読めば「ロマ書」は難しくない。
求めない人が読めば「ロマ書」が難しい。
その本が難しいのは、私にとって少なくとも、今その本は必要でないという点に帰着する。
感想;
一日一冊を目標に掲げ読み出しました。最初の一年目はなかなか難しく、絵本を90冊ほど読んで数を合わせましたが、
二年目からはこつもわかり達成できるようになりました。
365冊(絵本92冊含む 2009年)→504冊(2010年)→375冊(2011年)→400冊(2012年)→380冊(2013年)
5年間で、約2,000冊になりました。
この「読書術」を読み、既に実践していることが幾つかありました。
じっくり読む本、早く読む本、つまり本を常に100%読むのではなく、本によっては10−90%で読んでいるように思います。
それと気持ちの面でも余裕が出来ました。
常に一冊本を持ち、ちょっとした待ち合わせ時間(電車待ち、人待ちなど)と通勤時間を活用しました。
本があると目の前で電車のドアが閉まるとがっかりしていましたが、今は読書の時間ができたと思うようになりました。
人との待ち合わせ時間も気になりません。
たくさん本を読んで行くと、ある分野の本に書かれている本質が共通なのも気が付きだしました。
そうするとその本に書かれている既に知っていることや、まえがきみたいな部分は飛ばしたり目を追うだけで情報が入って来るようになりました。
そしてその本の言いたい骨格の部分を早く知ることができます。
本は自分の知らない、足らない部分を補ってくれるだけでなく、楽しい時間でもあります。