本の紹介&感想

「貞観政要のリーダー学」 守屋 洋著

帝王学の書物としては、「書経」、「貞観政要」の二冊だと言われている。
徳川家康もこの「貞観政要」を学んだと言われています。

江戸の終わりから明治の初めにかけて多くのリーダーが出て来ました。
何故こんなに日本を考える指導者がでてきたかは、多くの藩校などで、中国の古典(四書・五経)を教えていたからだとも言われています。

"大事は皆小事より起こる"
太宗(唐の二代目名君)が側近の者に語った。
貞観六年、太宗が側近の者に語った。
「あの孔子が、『国が危難に陥って滅びそうだというのに、だれも救おうとしない。これでは、なんのための重臣なのか』と語っている。
まことに臣下たる者は、君臣の義として、君主に過ちがあれば、これを正さなければならない。
わたしはかつて書を繙(ひもと)いたとき、夏の桀王が直言の士、関竜逢を殺し、
漢の景帝が忠臣の晁錯を誅殺したくだりまでくると、いつも読みかけの書を閉じて、しばし嘆息したものだった。
どうかそちたちは、おのれの信ずるところをはばからず直言し、政治の誤りを正してほしい。
わたしの意向に逆らったからといって、みだりに罰しないことを、あらためて申し渡しておく。

ところで、近ごろ、朝廷で政務を決裁するとき、法令違反に気づくことがある。
この程度のことは小事だとして、あえて見逃しているのであろうが、およそ天下の大事はすべてこのような小事に起因しているのである。
小事だからといって捨ておけば、大事が起こったときには、もはや手のつけようががない。国家が傾くのも、すべてこれが原因である。
隋の煬帝は暴虐の限りを尽くしたあげく、匹犬の手にかかって殺されたが、それを聞いても嘆き悲しんだ者はいなかったという。
どうかそちたちは、わたしに煬帝の二の舞いをさせないでほしい。わたしもまた、
そちたちに忠なるが故に誅殺された関竜逢や晃錯の二の舞いはさせないつもりである。
こうして君臣ともに終りをよくするなら、なんと素晴らしいことではないか。

「小学」
人は至愚なりと雖(いえど)も、人を責むれば明らかなり。聡明ありと雖も、己を恕(じょ)すればすなわち昏(くら)し

「論語」
君子は信ぜられて後に諫む。未だ信ぜられざれば、即ち以って己を謗るとなす

中国古典より人物鑑定法
1.顔つき
 いい加減なことばかりしてきた者は顔つきにもそれが表れてくる。
  2.発言
 中身のない人間は埒もないことをしゃべる。
3.行動 
 今何をしているのか。さらにさかのぼって、今までどういうことをしてきたのか。

「論語」
その以ってする所(動機)を視、
その由る所(目的)を観、
その安んずる(落ち着く)所を察すれば、
焉(いずく)んぞ隠さんや。

李克(魏の重臣)の言葉
居ればその親しむ所を視(ふだんどんな相手と親しくしていたか)
富めればその与うる所を視(豊になったとき、どんな相手に与えたか)
達すればその挙ぐる所を視(高位についたとき、どんな相手を推挙したか)
窮すればその為さざる所を視(追いつめられたとき、不正なことに手を出さなかった)
貧しければその取らざる所を視る(貧しいとき、利益に飛びつかなかったか)

"神は細部に宿る"
この言葉を真似て、"大事は小事に宿る"として、一つひとつを大切にしたいと思います。
伝教大師最澄の言葉に「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」があります。
大きな成果の前には地道な一つひとつの小さなことの努力の積み重ねがあるのだと信じています。

戻る