本の紹介&感想

「現場者] 大杉漣著

生まれ故郷の徳島県小松島市を後にしたのは18歳の時、
高校時代に好きになった女の子が「東京に行く」と言うので、「僕もそうする」と決意した。
東京の大学を幾つか受けて上京。ハナから大学に行く気はなかった。
多くの大学がロックアウトされて、授業を受けられない状況だった。
「別に好きな人ができたの」。彼女にはあっさりフラれてしまった。四畳半のアパートで悶々と過ごす日々。
太田省吾さんの「役者の背中」の文章に出会い、
その最後に「劇団員募集」の言葉があり、太田さんが主宰する「転形劇場」に連絡した。
「やりたい気持ちがあるなら、来てくれていいです」。
転形劇場に入って5年目にピンク映画の話があった。映画初出演だった。それから話があると出演した。

37歳の時、転形劇場は解散し、行き場所を失った。そんな時、ひとりの女性から連絡があった。
「大杉さんのマネージャーになりたいんです」。
彼女は芸能プロダクションのスタッフで「自分の好きな小劇場の役者を集めてマネージメントしたい」と一人に選んでくれた。

女房には「悪いけど、40歳までやらせてくれる?」と言っていたらしい。
Vシネマが大量に制作される時代がやってきて、脇役として何とか家族4人が食べていけるくらいになっていた。

40歳で初めてオーディションを受けた。北野武監督の作品であった。
オーディションの時間を間違え1時間遅れて行ったら、挨拶の2秒で終わった。
しかし、どういうわけか採用された。

感想;
長い下積み、出演した作品にはできることを精一杯取り組んで行く。次の作品のオファーがあるかはわからない。
今の現場に大杉漣として力をだす。尊敬する笠智衆さんの本からいただいた言葉「あるがまま」をサインに添えるそうです。
まさにご自分の生き方そのもののように思いました。今この時、この場(現場)に自分にできる力を出すだけ。
それが結果として次に繋がって来たのだと思いました。
実際の産業廃棄物の液に全身浸かる撮影では、身体に傷がないか、
予防注射もして取り組んだそうですが、どういうわけか腕がすごく腫れたそうです。
一流になるには、日々の努力と積み重ねがとても大切だと言うこと、
そして諦めずに信じて続けることが大切だと言うことを改めで教えていただきました。

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