「一途一心命をつなぐ」 天野篤著
一途一心命をつなぐ 天野篤著
天皇陛下のバイパス手術をした医師で一躍有名になりました。
東大病院の医師以外の人が手術をしたと。
バイパス手術、特にオフポンプ(心臓を停止せずに行う)手術の第一人者です。
受験に三浪して日大医学部に。
患者さんを助けることを使命に頑張ろうと思った。
大学生の時に父が人口弁置換手術を。取替えの手術が上手く行かず、3年後に再手術したが、それが元で亡くなった。
自分の師匠に手術してもらったが、心臓手術としては避けないといけないことが5つも起きてしまった。
手術の選択は自分が考え最善と思ったが・・・。
その思いがその後も心臓手術をやり続けた結果である。ようやく、あのときはあれで最善だったと受け入れられるようになった。
若い時にバイパス手術をしたが、思いのほか動脈瘤がたくさんあり、縫い合わせても血液がとまらない。
8時間手術をしてきて、「もうだめだ。どうなってもいい」とつぶやいた。外科医がそう思うことは患者の死を意味する。
その時、立ち会っていた看護師が「先生がそう思ってどうするのですか。私たちも一緒に闘っているのです」。
その言葉に我に返り、手術をした。17時間の手術だった。その患者は元気に退院した。
外科医にとって、手術の経験を積み重ねることで手術が上手くなる。手術の80〜85%は問題なく進む。残りに思いもかけないトラブルが発生する。
その時にどうするかが瞬時に求められる。その判断の元になるのは、過去の体験である。どの方法が一番よい結果になるかを見つけ出す。
どうしてよいかが輪からない時もある。その時は、気持ちが身体から離れ、全体を俯瞰しているようになるときもある。そして冷静にどうすかを判断する。そのようにできるには多くの経験が必要になる。
外科医にとっては、睡眠も仕事のうちだ。長丁場の手術は、まず身体を休めるところからいってもいい。
「自分が手がける患者さんには、自分だからできる手術をやってあげたい。と常に思っている。
それは、たとえば傷を少しでも小さくするとか、これまで切っていたところを切らずに同じ処理をするといった、
術後の回復が少しでもスムーズにいくための工夫であったり、また手術した心臓が将来的によりよい状態で長持ちできるための“もう一手間”だったりする。
それらは多くの場合、自分にできない高度な技というわけではない。他の外科医でも技術的に充分できることだ。
ただ、それに気づくかどうか、敢えてそこまでやるかどうかに違いがあるのだと思う。だから、手術で自分ができることは全部やっておく。
一手間加えることで患者さんの予後がもっとよくなる可能性が少しでもあるなら、その手間は惜しまない」
46歳で順天堂大学の胸部外科の教授になったが、当時の現場があまりにもひどかった。もなかの皮だけであんこがない状態だった。看板は立派でも、まるで中身が伴っていない。看護師や麻酔科医お世辞にも高いと言えないレベル、これが有名大学病院の医療スタッフかと我が目を疑うこともしばしばだった。「鬼神」と化してでも頑張らねばと思った。
改善点を看護主任に伝えたところ、「ここは組織で動いていますから」と。これまでのやり方をそう感単に変えられないというのである。医療の正義は、患者さんをよくすることだ。
順天堂に来る前の新東京病院時代、僕は“影の看護部長”と呼ばれていた。医師だけの力でできるものではなく、看護の力が不可欠なのだ。僕は看護師に対しても厳しく注文をつけてきた。
順天堂のスタッフに問いかけた。
「この病院の中で心臓のことを一番よく知っているのは誰だ?一番多く手術してきたの誰だ?」
「手術は誰のためにやるものだ?それはいうまでもなく、患者さんのためだ。
では、手術で患者さんをよくする使命を担っているのは誰だ?それは心臓外科医のこの俺だ。ならば、俺が手術をして患者さんをよくする。
その実現のためにお前たちみんなが一致協力して働くのは当たり前のことではないか。
もちろん、その結果として治療実績が上がれば、それはここにいる全員の評価になる」
幸いなことに、学長からは「どんどん目立っていいぞ」と。着任から半年後に新しい麻酔科主任教授が赴任し、外科医に協力的な麻酔科づくりに取り組み始めた。ICUにも僕の看護理念を理解してくれる看護師長が着任してきた。
入院期間の短縮は、患者さんの精神的、経済的な負担を軽くするだけでなく、二次的な効果をもたらした。
「あそこで手術すると、早く減気になって退院できる」。他院からの紹介も増えてきた。
心臓外科医の腕をよく知っているのは、内科(循環器)の医師だといわれる。
手術を受けた患者さんはその後、かかりつけの内科で経過を見ることが多いから、
手術が本当にうまくいったかどうか、その治療効果がよくわかるというわけだ。
これまでターニングポイントは3つある。
3浪して医学部に入学。父の死。もう一つが、42歳の時に患者さんに占ってもらった。
「先生、私の占いよくあたるのよ」
結果は最悪というか、後2年くらいしか寿命がない。しかし、悪い状況を自分から持ち上げていく方法があると。
「できるだけ多くの人に施しなさい」「何でもいいから人にいいことをしてあげなさい」
このときはハッとさせられるものがあった。あの頃は僕自身、自分はこのままでいいのかと危機感を抱えていた。そう思って実践した。
たとえば、講演や取材などの依頼はどんなに忙しくても極力、引き受ける、自分が何か貰ったらおすそ分けをする、
電車で立っているお年寄りがいないかどうか周りを見渡して、もしいたら席を譲る・・・。
とにかく人が喜んでくれそうなことを積極的にやるようにした。
不思議なもので、そういう毎日を送っていたら、2年ほどして大学教授の話が舞い込んできた。
結局、この人が教えてくれたのは「プラスの連鎖」ということだったのではないか。
人に対していいことをする、人が喜んでくれる、自分もうれしくなる。