「電池が切れるまで−子供病院からのメッセージ−」 すずらんの会編
電池が切れるまで 子供病院からのメッセージ すずらんの会編
朝日新聞の天声人語に紹介されていました。本を購入しましたのでもう少し紹介します。
この本は、長野県立こども病院《長野県豊科(とよしな)町》に長期入院している子供たちの院内学級での文集の反響が大きかったので、
それらの中から、そして父兄の言葉や院内学級や病院の先生の言葉をまとめたものです。
命 宮越由貴奈(小学4年)
いのちはとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池はいつか切れる
命もいつかなくなる
電池はすぐにとりかえられるけど
命はそう簡単にはとりかえられない
何年も何年も
月日がたってやっと
神さまから与えられるものだ
命がないと人間は生きられない
でも
「命なんかいらない」
と言って
命をむだにする人もいる
まだたくさん命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから、私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい生きよう
ゆきなちゃん 田村由香(小学5年)
ゆきなちゃんは
合計二年間も病院にいる
治療で苦しいときもある
それなのに
人が泣いているときは
自分のことなんか忘れて
すぐなぐさめてくれる
でも たまあに
夜 静かに泣いていたときもあった
いつもなぐさめていたゆきなちゃんが泣くと
こっちがどうしていいか
わからなくなる
ゆきなちゃんの泣いている姿を
ただ じっと見ているだけだ
ごめんね なぐさめられなくて
ゆきなちゃん ごめんね
由貴奈さんの母
この詩を書いた頃、テレビで流れるニュースと言えば、いじめだとか自殺だとかが多く、
同じ頃病院では、一緒に入院していた友達が何人か亡くなりました。
生きたくても生きられない友達がいるのに自殺なんて・・・・そんな感じでした。
それにちょうど院内学級で電池の勉強をしたばかりだったそうです。
この詩を書いた四か月後に亡くなりましたが、これを書いたとおり充分精一杯生きました。
病気 藤本一宇(中学3年)
この病気は
僕に何を教えてくれたのか
今ならわかるような気がする
病気になったばかりの頃は
なぜ どうして
それしか考えられなかった
自分のしてきたことをふりかえりもしないで
けどこの病気が気づかせてくれた
僕に夢もくれた
絶対僕には
病気が必要だった
ありがとう
私は今、小学校の先生になるための勉強をしています。
自分が何をしているか分からないときもあります。
でも、こども病院での出会いと別れを忘れずに生きていこうと思います。
病気を体験して、生かされて、生きるという言葉、本当にその通りだと思います。
実感 上原久美子(高校2年)
食べたいと思える
食べれる
眠たいと思える
眠れる
自分で歩いてトイレに行き
自分で排便できること
起きあがりたいと思えば
起きれて
しゃべりたいと思えば
しゃべれて
外に出たいと思えば
出れて
他にもたくさん
書き切れないぐらい
そう すべてが幸せ
今
私がこう考えることができて
それをつらい気持ではなく
明るくスラッと書けること
それも しあわせ
三歳の時、先天性好中球減少症と診断され、その後入退院を繰り返しながら生活し、
十六歳の時、骨髄移植を受けた。(中略)もちろん健康な身体だったらどんなに楽だったろうと思う。
その反面、病気があったからこそ、いまの自分がいるが、病気をして良かったと絶対に言えない。
そんな割り切れないものを感じる。病気を通してさまざまな人に出会い、さまざまな思いをした。
悲しいこともあったけど、楽しいこともあったんだよ。そう思う。
あとがきより(要約) 長野県県立こども病院血液・腫瘍科医師 石井 栄三郎
こども病院が開院して約十年。140人以上のこどもが長期入院。
子どもたちが病気を克服して、立派に成長していくのを見るのは、とても嬉しいことだ。
その一方で、31人の子どもがなくなった。医者は患者に育てられる。
この文集には子どもたちの視点で書かれた素直な気持が載せられており、
僕にとってかけがえのない、貴重な教科書になっている。