「エヴァの時代」 エヴァ・シュロッス著 "アウシュヴィッツを生きた少女” ”戦争は人を悪魔にする”

15歳の時に、アウシュヴィッツ・ビルケナウに連れて来られた。
父親と兄はアウシュヴィッツに母親とエヴァ(著者)はビルケナウに。
2年と少しの隠れ家での生活、その後9カ月の強制収容所の生活だった。
ドイツが攻めてくるとのことでオーストラリアからオランダへそしてベルギーへ移り住み、英国へのビザを申請している内に、
出国できなくなり、隠くまってくれる人を探して隠れていたが、最後は密告されて見つかった。密告すると報奨金がでていた。

・あらたに芽生えたこの人生に対する見方は、その後の事態を耐える私の力となった。
 何事も本人次第なのだ。どんな目に会おうと、私はこの苦しみを生き抜いて見せよう、私はそう心に誓った。

・強制収容所の人々に残されたただひとつの生きる手段は、自分で自分を律しきれるかどうかということにかかっている。
 収容所生活がひたすら本人が耐えることで生き延びられるものなら、私はこの期間を自分の忍耐力を試されるひとつの挑戦として受けとっただろう。
 しかしここでは、闘牛場に引き出された雄牛も同然、私達に公平なチャンスなど何ひとつ残されていなかった。
 収容所のすべての機構は、私たち全員を絶滅させるように仕組まれていたのだから。
 それにもかかわらず、私の生き延びたいという意思は強烈だった。
 どんなことっがあってもすべてのことにひとつひとつ打ち克って行こうと私は自分自身に誓っていた。

・偶然、パパと出会った。二人の間には高圧電流の流れる鉄条網がさえぎっていた。
 よりによってこの一点でこの一瞬に互いに顔を合わせるなんて、奇跡でなくて何だろう。
 パパがこつ然と目の前に姿を現したあの時の情景と、その時受けた感動を心に思い浮かべることで、
 私はその後も自分を励まし続けることができたのである。

・選別が進み、私の番が来た。右へ。
 ママの方を見ようとすかさず振り返った私の目に、カポに左側に追いたてられているママの姿が飛び込んで来た。
 絶叫が私の口をついた。目の前が真っ暗になった。生涯で最も辛い一瞬だった。生きたままママを見るこれが最後だと思った。
 (従姉妹がアウシュヴィッツで看護師をしていた関係で母がガス室送りを逃れた。従姉妹が悪名高いメンゲル医師に頼んでくれた)

・一行が収容所の門を出て間もなく、一人、二人と力尽きた人たちがつぎつぎと雪の上に倒れ始めた。
 そのまま動けなくなった女たちを、撃ち殺すか放置するかしてドイツ兵は行進を進めて行った。
 もう今しかないと悟ったママは、厚く積もった雪に足を取られるふりをして、少しずつ歩調をゆるめ、体をぶらつかせて最終に雪の上にくずれ落ちた。
 どうかドイツ兵にこれ以上無駄弾を使わさないでくださいと祈りなが。
 息を止めてそのまま動かなくなったママの傍らを行進の列がヨロヨロ通り過ぎ、
 わずか1メートルと離れていないところをトラックが地響きをたてて通って行った

・旅の間中、私はさまざまな人から援助の手を差しのべてもらうことになったのだった。
 それぞれに戦争の深い痛手を受け、生活のやりくりに必死で追われて人たちだった。
 そうした人たちが惜しみなく示してくれるほんの小さな思いやりのひとつひとつが、
 どれほど私の胸を打ち、信頼の気持ちと勇気を再び心の中に呼び戻してくれたことか。
 心の底からお礼を述べる以外私にできることは何ひとつなかったが、この間に受けた人々の優しさのかずかずを、私は終生忘れることはできない。

感想;
何度もガス室に送り込まれる危機もあり、病気でもうだめということもありました。
解放されて助かると思って体力が尽き果てた人々も多くいました。
解放されてソ連兵がいない隙にドイツ兵が戻って来て収容者をもう一度引き連れて多くの収容者を殺害して行きました。
母とエヴァは助かりました。
兄はアウシュビッツ強制収容所からマウトハウゼン強制収容所への死の行軍のため4月に衰弱のために亡くなった。
父は終戦の3日前に亡くなった。

戦争は人を悪魔にもさせてしまう。自分が生き延びるということは、他の人がガス室に送りこまれることを意味していた。
戦争では紛争は解決しないのは歴史が証明しています。人を悪魔にさせ、多くの犠牲者を出すだけです。


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