人間の三次元とその次元に特有な愛情表現 ロゴセラピーでみる愛

ロゴセラピーのゼミナールを受講しました。勝田茅生先生が講師でした。

テーマは”愛と家庭”で、その中で愛を人間の三次元で見ることの説明があり、興味深かったので紹介します。

人間の三次元とその次元に特有な愛情表現

ロゴセラピーでは、人を、精神 + 心と身体(二つ合わせて心身態と呼ぶ)の三次元で考える。愛において、どの次元での結びつきかによって、結びつきの強さが異なって来る。

自分   相手    自分  相手   自分   相手

精神 ⇔ 精神     ?? 精神      ?? 精神   

   ?? 心    心 ⇔ 心       ?? 心

   ?? 身体     ?? 身体   身体 ⇔ 身体

精神と精神の結びつきはお互いの人格を敬愛するものでしょう。

身体と身体はいわゆる恋愛ならセフレの繋がりかもしれません。。

たすき掛けになっている結びつきはお互いの求めるものが食い違っており、不満が起きる可能性が大きくなるとのことです。

ゼミナールの中での説明;

本当の意味での愛とは精神的な人格を敬愛するものである。つまり人となりをよく理解するもの。良い服装、良い食事、良い家に住んでいることが必ずしも良い人格になるものではない。相手がどんな人でも相手の人格を尊重して付き合う。金銭的な利益を追い求めることだけでなく、社会に貢献していることに目が向いているか。どんなことをしたら自分の評価が上がる、下がるかを考えるのではなく、自分のありのままに接する。そのままの人格で接することで相手に伝わる。その伝わる精神次元が本当の愛情になる。親子や同僚など、相手の人格に触れ合うことであり、心身態での繋がりだけなのではない。人格の尊敬があってこそ、心身態の繋がりが喜びになる。人格での尊敬があれば外観が怪我などで変わっても、その人に対する深い愛情が継続して行く。存在論的にその人の元にいること。相手の存在そのものを受け入れて相手の近くにいることだと。

つまり、相手の存在そのままで受け容れて、相手にイエスと言う。これが真実の愛だと。身体次元の交わりを必要としないので、相手が近くにいなくても存在するし、相手が亡くなっても継続する。 心理次元の愛は、エロティックの次元。相手の明るい話し方や 着こなしがステキだと。相手の外側の様子を自分が好きになる。相手が高慢でわがままでも相手の側にいるだけでドキドキしたりする。 精一杯相手の気持ちを惹こうとする。相手の要望が衰えた時、恋も冷めてしまう。愛がいっぱいの時、自分が真実な愛にいると思う。相手の気持ちを惹こうとする。身体的は性的な魅力。動物に見られる衝動。これを愛情と感じてしまうと不幸な結果になる。もっと性的な魅力だけで繋がっていると、もっと性的に魅力的な人がいればすぐにその人に向かってしまう。身体次元の愛は自分の性的な供給を満たすための手段と考えている。三次元の愛の形態を頭にいれていると、自分のこと、カウンセリングの時にも役立つことがある。

愛情形態の多様な相互関係

AさんとBさんの愛情表現がどのような次元なのかによって関係が異なって来る。 Aさんが精神次元でBさんを愛している場合、Bさんの愛の次元で関係が異なって来る。精神的な愛情が芽生えないと、関係が良くなって行かない。もっと良い人が現れると他の人に乗り移るかもしれない。 AさんがBさんの人となりが好き。ただ、BさんはAさんの性的なところだけに魅力を感じている場合。二人が結ばれた時には二人は幸せを感じるが、Aさんが出かけた時などに、別の人と浮気する場合が起きる。 Aさんが精神的に、Bさんは心理での場合、戯れの愛に。退屈を紛らわすために電話やメール、食事を、セックス。恋愛遊びになる。心にときめきは感じるが。相手は自分を写す鏡として、自分がこんな服を着たら、相手はどう思ってくれるかなど考える。パートナーとの関係が長くなると、胸のときめきを感じなくなる。そうすると新しいトキメキを探そうとする。二人の性行為が上手く行っても、Aさんに満たされない場合がある。双方が性的な関心しかないと、自分の性的な満足を得られるなら、誰でもよいことになる。パートナーは性を満足する手段としか考えない。浮気をしても相手に悪いという気持ちが出てこない。 相手の関係をより良くしていく中にはこういう関係では芽生えてこない。

愛とは人間の三次元で様々な形態を表し、どの次元で惹き付けられるかによって変わる。心理なら戯れの愛、精神なら尊敬などが芽生える。精神の次元に高められて真実の愛になる。相手の愛がどの次元で芽生えるかによって変わる。本当の愛は精神次元である。

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