「フランクルと被災した私」石木幹人氏(医師、前岩手県立高田病院院長)の講演を聞いて

2014年8月30日(土)第7回ロゴセラピスト講演会(日本ロゴセラピスト協会主催)の中でお話がありました。
東北大震災時の津波を体験とロゴセラピーとの関わりのお話でした。心に浸みるお話でしたので紹介させていただきます。

無為自然、俺かなと。混乱したなかでダメ出しをしなかった。
フランクルと出会ったのは20代真ん中くらい。どこでどうやれば学べるからわからなくて。
医者になり、先生はロゴセラピーを学びなさいと言われて、1年前から学びだした。経験したことを話すのがよいかと。
被災した写真も紹介するので、実際被災された人は気分を害するので、目を閉じて欲しい。

1947年開業医の長男として青森に生まれる。早稲田大学、東北大学医学部
肺がんの手術をやった。そうしていたら陸前高田の高田病院に院長で赴任した。
亡き妻と1976年8月「死と愛」の読書会を行った。
岩手県立中央病院勤務中、当時岩手大学文学部教授の佐藤文子先生の職場研修があり、その指導の下、「死と愛」の読書会を立ち上げた。
最初100人、最後は10人。10人も残ったはすごい。勝田先生のロゴゼミに職場の何人かが参加した。

創造価値、体験価値、態度価値
・学生時代は意識していなかった。
高田病院は60億円の赤字、毎年5億の赤字。内科、外科、産婦人科、小児科。
大変な状況。高齢者が50%を超えているところを限界集落と呼ぶ。平成21年度ようやく黒字になった。
ところが、平成23年3月11日午後2時46分。地震直後はそれほどたいしたことがなかった。
津波がなければ家の倒壊はほとんどなかったのではないか。津波が見えてもまだ大丈夫と思っていた。
4Fまで津波が来ていた。人工呼吸器の患者さんが4Fにいたが人が押して呼吸をさせていた。
逃げろと言っても逃げなかった人もいた。屋上まで患者さんを上げた。15人が津波でなくなり、救出されたのが36人。
職員が8人行方不明。鉄筋の建物だけが残っていた。

日没に備えて;
転がっている冷蔵庫からヤクルト・ヨーグルトを見つけ低血糖の患者用とした。
病棟にある濡れていないオムツやカーテンなど使えそうなもの、燃えそうなものを探した。
患者さんを屋上に上げるがとても大変だった。機械部屋で風を防いだ。夜間が寒くて4人亡くなった。

翌朝;
夜が明けるまでが長かった。朝日がきれいだった。職員全員で作戦会議を開いた。
1Fまでの通路を確保、患者の世話をする係り、遺体安置の部屋をつくる係り、一般市民の大樹部屋に分かれ活動を始めた。
自衛隊が置いて行ってくれた非常食。力のでる食べ物だった。パワフルに動けるようになった。
ヘリで2時までに患者さんが救出、私が最後で午後4時にヘリに。ヘリから陸前高田死を見たがすごい状態だった。
自然災害なので恨む相手がないのは結構厳しい。家内は助かっていて欲しいと願っていた。米崎コミュニティーセンターに避難した。
12日夜から患者さんが来た。寝る場所がなく立ちっぱなしで夜を過ごした。
その日は轟沈、13日は多くの患者さんが来ていたので考える時間もなかった。
近くの人が奥さんそこにいたよと言われたので、もうだめだと思った。夜はだめかも(泣くかと)と思っていたが、息子が来た。
泣く機会がまったくなかった。

私たちが動かないと陸前高田市の医療はないと思った。高田病院は(スタッフが)生き残ったから大丈夫と。
救護所を6か所立ち上げた。3月20日から全国各地から応援の医師が来てくれた。22日から高田病院の医師を2週間休暇にした。
先生が自分のことをできなかった。私も初めて自分のことをやった。道は再開していたが、パンクの確率が高かった。
車を寄付してくれた人がいた。4月4日グループワークで方針を決めた。訪問診療を始めた。平成24年2月病院が再開した。
仮設に住んでいる人は意欲がない状況であった。そこで仮設の近くで11か所に畑を作った。野菜を育てることで生活の意欲が出た。
健康状態が良くなった。コミュニケーションの基にもなる。歩いている人が畑の人と話をすることもあった。収穫祭をやると人が集まり交流になった。

朝日新聞にフランクルが取り上げられた。2,011年5月「夜と霧」の新訳を読んだが頭に入らなかった。
亡き妻が震災前に傾聴ボランティアをしていたが、そこでフランクルの本と再開していた。
ロゴセラピーの仲間が高田病院を訪問してくれた。2013年秋、盛岡のロゴセラピー研究会に参加。2013年12月陸前高田で読書会を参加。
「夜と霧」を読み、「それでも人生にイエスと言う」を9月3日から読み始める。ロゴセラピーはライフワークになるのかなと思っている。

2014年の3月で退職してフリーな状態である。病院努めだといろいろな制限があるが、市のコーディネイターとしてやっている。
今まで高齢者を支えている働いている層が3割減って行く。各地域に高齢者が集まれる場所に創ればよいかと。
そう言うことができたらよいなと考えている。陸前高田は12mかさ上げして市街地を造ろうとしている。
仮設のコミュニティが崩壊したので、新しいコミュニティを造らなければと。
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