大きな障害に出くわしたら ロゴセラピーから

皆さんは大きな障害に遭ったら、どうされるでしょうか?「夜と霧」の著者ヴィクトル・フランクルが始めたロゴセラピーの観点から考えてみたいと思います。

ヴィクトル・フランクルはナチスの収容所での体験は、まさに自分が考え出したロゴセラピーの有用性を自ら試す機会になりました。

ロゴとはギリシャ語で意味と言う言葉です。キリスト教では言葉との意味です。ヨハネ福音書に初めに言葉があった。とありますが、その言葉はLogosなので、初めに意味があった。との解釈もできます。

1942年フランクル一家(両親、妻、フランクル)はチェコのテレージエン・シュタット強制収容所に送られました。1943年父ガブリエルはそこで栄養失調で亡くなります。1944年フランクルはアウシュビッツの収容所に送られることになりました。母エルザとの別れでした。フランクルが送られた後、母は亡くなりましたが、フランクルは戦争が終わるまで母の死は知りませんでした。フランクルが移送されると知った時、妻ティリーはどこまでもフランクルに付いて行きたいと思い、フランクルの反対を押し切って一緒に行きます。ティリーは軍需工場で働いていたので留まっていれば、2年間はいのちの保証があったのですが・・・。アウシュビッツに着くと男女は別にされました。フランクルは、1945年4月27日当時収容されていたテュルクハイム強制収容所で解放されました。その後しばらくして母と妻の死を知りました。「フランクルの生涯とロゴセラピー勝田茅生著より抜粋。

ユダヤ人は600万人殺害されたそうです。フランクルがその死の恐怖の中で、生きようと思った目的は、母と妻に再会することでした。もう一つがロゴセラピーの考え方を伝えることでした。

フランクルは収容所で頑強な人でも「もうだめだ」と思った人が早く体調を崩しガス室に送られるを見て来ました。どんな過酷な環境においてさえ、そこで生きる目的を持つこと、即ち自分の生きる意味を見出した人は最後の最後まで生きようとしているのを見ました。

大きな障害に出くわすと、その障害に遭っても意味を見出すことができるかが重要になります。障害の先に目的があったと思います。その目的が大切なものであれば、障害があっても何とかしようとします。しかし、目的が脆弱なものであれば、障害により諦めます。その目的は所詮それだけのものだったのかもしれません。意味(障害の先の目的)への意思があって初めて障害に逃げずにその場で取り組んで行くのだと思います。

何とかしたいとの思いがあれば、何とかなって行きます。時間がかかる場合もあります。そのための努力が必要なのだと思います。

私の体験ですが、結婚の時、相手の両親に反対されました。家内は結婚したいけど、両親の反対を押し切ってまで結婚することの不安でどうしようもできないでいました。両親に結婚を認めて欲しいと手紙を出しました。母親からはがきで断りの返事が来ました。行書の達筆で読めませんでした。ただ、何となく断りだなと理解しました。読めなかったのが良かったのかもしれませんが。両親に会いに行きましたが、門前払いで家にもあげて貰えませんでした。

どうするか。諦める。諦めない。その時は自分が好きな人との結婚を反対されると、これから何か大きな障害が起きると直ぐに諦めてしまうのではないかと思い、逆に何とかしようと思いました。両親と私の我慢比べだと思いました。客観的に観てもそこそこの収入があり、次男だし当時の結婚で男性に求める条件としては良かったと思うのですが、両親は医者と結婚させたいようでした。

反対されてから、家内の不安を和らげるように努めました。そうしていると2か月後、両親が認めてくれ逆に早く結婚したらよいとまで言われました。ある雪の多い日に電車で2時間かけ家内に逢いに行きましたが、家内は雪が多くて実家から駅まで車が出せません。結局逢えませんでした。泣きながら雪かきしたと聞きました。必死に雪かきしている娘(家内)の姿を両親が見ていたのかもしれません。鎌田實諏訪中央病院名誉院長は”頑張らないけど諦めない”生き方を推奨されています。諦めないということは、障害が私の人生に遭っても、その障害にYesと受け容れ何か意味を考え、価値を創っていくことなのだと思います。ロゴセラピストは他のセラピストと違って、先ずは自分がロゴセラピストとして自分の人生にYesと受け容れ価値を創りながら生きて初めて他の方にロゴセラピーを伝えることができます。

インド独立の父ガンジーの次の言葉が好きです。

”誇りは、自分から投げ捨てない限り、誰もあなたから奪うことはできない”

ロゴセラピーの考えを加えると次のようになるように思います。

”人生は、自分から投げ捨てない限り、最後まで人生に意味を見出せる”

戻る