槇原敬之さんとの出逢い
「よっくん、おかあさん。槇原敬之さんって人が面会にこられてるけど・・・あのマッキー?」
看護婦さんが興奮して病室にやってこられました。ポロシャツにジーンズ。キャップをかぶった槇原さんはごくごく普通の人でした。
嘉朗は11月に大阪城ホールで行われるマッキーのコンサートチケットを6月に購入していました。もう治って大阪に帰っていると信じていましたから・・・。でも一向によくならない病状。個室からも出れない日々。嘉朗は槇原さんに手紙を出しました。自分の作った「詩」とビーズも同封しました。するとなんと、12才のお誕生日に病室を訪ねてくださったのです。マネージャーの奥村さんもご一緒でした。興奮が収まらない嘉朗は何度も何度も
「サインちょうだい」
を連発してしまって大笑いでした。
「一緒に仕事しような」
そう書いていただいた色紙は嘉朗の一生の宝物です。
「12年間で最高のお誕生日や。ありがとう。ほんまにありがとう」
「お母さんを大切にするんやで」と奥村さん。
事務所の近くの神社で病気平癒のお守りも買ってきて下さいました。
大興奮の嘉朗と槇原さん。久しぶりの大阪弁でのおしゃべりに嘉朗は満面の笑みです。
結局、11月のコンサートには嘉朗はいけなかったのですが、叔父と彼女と姉の3人で観にいき、なんと楽屋にまでご招待いただいたそうです。
12月、嘉朗が天使になった日に参列はできないけどとお電話いただき、立派なお花をいただきました。
そして2月。大阪でのお仕事があったので奥村さんやスタッフの方たちと一緒に仏前に来てくださいました。クリスマスプレゼントにと広島のコンサートの合間に買ってくださっていたガンダムのプラモデルを持ってきてくださいました。お香典も頂き、そしてなんとDVDのエンドレスロールに嘉朗の名前を入れてくださいました。
「これからもずっと一緒に仕事しような」と仏前の嘉朗に話しながら奥村さんも槇原さんも涙でぐちゃぐちゃになっておられました。