虫垂炎になって

 5年生になった5月。おなかが痛いと夜中に目を覚ましました。おなかがすいて胃が痛むのだろうとりんごを食べさせて様子を見ていましたが、増していく右腹痛に異常だと重い病院へ運びました。私が運転する横で痛みで気を失ってしまった嘉朗。虫垂炎でした。いつかは骨髄移植をと考えている主治医は手術をして取ったほうがいいとのご意見。でも小児外科の先生は怖くて手術ができないと・・・。とりあえず抗生剤で炎症を落ち着かせて時間をかせぎました。その間、点滴をはずしてもらって春の遠足にもいきました。

そしてやっとのことで手術をしてもらえるようになって5月23日手術。

 病室に帰ってきた嘉朗は、麻酔で朦朧としています。そして、暴れるし暴言を吐くしで大変でした。看護婦さんの顔面を蹴ってしまったり「痛いねん。なんでやねん」とおこったり。でも・・・でも、迫先生が「どうや?」と覗きに来てくださるとしゃきっとして「はい。大丈夫です」・・・

小児外科の先生も看護婦さんもおなかを抱えて笑っています。そんな  嘉朗ですが翌日の朝には点滴を押しながら家に「おはよう。おなかすいたわ」と電話をかけてくるまでに回復しました。結局痛み止めも使わず耐えたそうです。ガスが出るまで食事はできないと思っていたのですが、翌日から食べてもいいとのことで、病院食は食べれないのであわてておじやを作り運びました。小児内科では持ち込みは禁止なので小児外科で無理をお願いして持込をさせて頂きました。退院まで研修医の先生や小児外科の先生に本当に良くしていただき、あまりに調子に乗りすぎた嘉朗のベッドサイドに張り紙をしました。

「言葉遣いが悪い」「態度が悪い」・・・

注意のたびにチェックしてもらいました。というのは入院していた病院は完全看護で2時から8時までしか面会ができず、またテレビは禁止なのです。お風呂も処置も食事もすべて看護婦さんがしてくださいます。保育所のようにみんな集まって食事をするのです。なのでお昼に次の日のお昼ごはんまでを冷凍して届けていました。面会中はガンダムのプラモデルを作って遊びました。

この手術でにわかったことがありました。それは、麻酔科の先生からの診断で、

「肺が硬くなってきていて圧が入らなかった」

という今後を左右する貴重なお言葉・・・。間質性肺炎が確実に悪くなっているということ。サチュレーションが保てるのは元気な肺だけが一生懸命に動いているから。苦しさには慣れっこになっているから。CTでもMRIでも見つけられなかった間質性肺炎の悪化。骨髄移植という治療につながる虫垂炎でした。

                                                                            

 

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