「知ることより考えること」 池田晶子著 ”考えることの楽しさ、重要性”

何のための人生か。考えずに生きられる人生は、善い人生ではあり得ない。

すべての人が、その人に見える見方で、世界を見ている。むろん自分もそうである。
自分には世界はそう見えるが、それは自分の見方でしかない。相対化することができる。
では他の見方はどうなのか。賢くなりたいと思うなら、当然それを学ぼうとする。
自分にはわからないことを言う人の言うことを、わかろうと努めるだろう。
自分にわからないことは間違っていることだと反論に努めるのは、賢くなる気がないからだ。
つまり自分を賢いと思っている馬鹿、だから度し難いと言われるのである。
カント認識論ふうに言えば、赤いメガネをかけているから世界が赤く見えているということだが、
それらを極端な人の場合、メガネが眼玉に食い込んで、眼玉が赤くなっている状態である。
だから、話がしたけりゃ、眼玉をはずしてから来いということになるか。

時代や社会がいくら悪かろうが、そこで私が善く生きることのいかなる妨げにもならない。
たとえ世の全員が金儲けに狂奔しても、私は金儲けのために生きることはしないと決める。
たとえ世の全員が互いに悪意を投げ合っても、私は悪意を所有しないと決める。これも可能である。
笑われようが殺されようが、私は、私だけは、善い人間として、善い人生を全うするのだ。
そう決めるだけでも、十分心は清々しい。私は私のことだけを気にかけて生きよう。
他人のことなど知ったことかという私の独我論が、全面に出てきたのを感じる。
たとえ世の全員が不幸でも、私が不幸である理由はないではないか。
「負け組」に回り、絶望して死にたくなっているあなた、どうです、あなたもここらで幸福になりませんか。
難しいことじゃない。簡単なことなのだ。他人の言うこと他人のすることを気にしなければいいだけだ。
他人を気にして、他人と幸福を競おうとするから、人は不幸になる。
しかし、生きているのは私でしかないのだから、世界とは私なのだから、私が不幸にならずに誰が幸福になる。
たとえ全世界が破滅しようが、全人類が消滅しようが、私はひとりだけは幸福でいるのだ。
2006年 池田はそう決めました。

感想;
池田さんは考えることが大好きだそうです。
情報や知識をそのまま受け入れるのではなく、考えることが必要なのだと。
池田さんの本を何冊か読みましたが、「なるほど、そういう見方もあるのか」と自分の考え方が狭い見方しかしていないことに気付かせてくれます。
池田さんは46歳で亡くなられました。池田さんの本を初めて読んだ時はまだお元気でした。惜しい方を失くしました。


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