「なぜ悩む!」 玄侑宗久/A・スマナサーラ著 "今を生きる”

死ぬまで生きるんだから別にいいじゃないか、というくらい楽ならいいんだけど。
それでも不安になるんですよ。だからこういうことなんです。
 人間っていうのは具体的、客観的、真理というか、英語ではリアリズムというけれど、それが大事なのに、大事なそれがないんですね。
 リアリティ(事実)っていうのは今の瞬間なんです。
 次の瞬間私がいるかどうか、さっぱりわからないんですから。
 それで時間的に考えると、本当は我々は今の瞬間のことだけ気にすればいいんです。心配すればいいんです。
 しかしおもしろいことに、今の瞬間ぐらいのことならそれほど心配することはないんです。瞬間だけなら何の問題もない。
 例えば今の一秒だったら別に何の問題もないでしょうに。一生秒単位で生きているんですよ。
 本当は、今の瞬間だけが事実であるし、具体的であるし、生きているのは今の瞬間だけでしょう。
 だからときどき私は人に訊くんです。いろいろ課題あるでしょうか。みんないっぱいあるといいます。
 次に私はこの質問を出すのです。では今の一秒で何か問題ありますか、我慢できないほどの乗り越えられない問題はありますか。
 誰でも決まって、いいえと答えます。
 じつはですねぇ、あんたは具体的に言えば、今の一秒しか生きていないのだ、これからもそうなのだ。
 だから一生の何の問題もないはずだ。しかしそう言っても本人に問題があるんです。
 なんでその問題が起きるのかといえば、時間をずらしちゃうですね。

感想;
仏教は釈迦の教えが、いろいろとその後展開されたので、仏教の宗派の教えが少しずつ変わって来ました。
スマナサーラ氏はスリランカ出身で仏教の最初の教えに近い方です。玄侑氏は臨済宗です。
悩むのは、過去のことを悔い、未来のことを不安に感じあれこれ心配しているからと言われています。
つまり今を生きることよりも、過去と未来に思いを馳せているのです。
今できることを、今生きることをしていない。今、この1秒を生きる。その連続なのでしょう。



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