サワコの朝 ゲスト徳永英明さん「絶対、音楽でやっていけると思っていた」

カバー曲、女性の歌をカバーしたのが大ヒットした。
カバーする人との評判は?20代では嫌だったと思うが、今は54歳の今はボーカリストでしょうと皆さんおっしゃってくれるので。
これからはシンガーソングライターとして自分の歌も出して行きたい。
テレフォン・ラインが思い出の曲。柳川市で生まれ伊丹市に中学の時引っ越してその時に聞いて、惹き込まれた。
九州男児を見せたるけんと発言して虐められたが、たまたま喧嘩で殴ってしまったら、周りからの虐めがなくなった。

19歳で歌手を目指して上京。デモテープをいろいろなところに送ったが、それで採用されることはなかった。
サントクという焼き肉店に音楽関係の人が集まっていた。そこでバイトして、音楽関係の人と接点が持てると思った。
そのビルの上に音楽関係の事務所があり、何度もケーキを持って行ったかわからないぐらい。絶対、音楽でやっていけると思っていた。

挫折しようとの思いは。22歳で俳優養成所にも入った。主題歌を歌いたいから入っていた。
養成所での打ち上げ会で親しい仲間に、「また、逢いたいね」と言ったら、「有名になったら逢おう」と言われショックを受けた。
それから一週間落ち込んだ。そして真剣にデモテープを作った。それが認められて賞を貰った。それがきっかけになった。

「壊れかけのRadio」ヒット曲を作るために曲を作らされていた。原点に戻ろうと思って作った。
僕は愚痴をよく書く。書いていると良い。残るので。その愚痴が歌詞に変わって行く。自分は結構弱い。
誰かに嫌な思いにされた。あるいは嫌な思いをさせたと落ち込む。落ち込んだら歌う。ステージで歌えばOKと思っている。

40歳に大病を患った。脳のMRIを見て、人と違う。スパイダーマンみたい。
医者から3年後には良くなるかもと言われた。その3年後がボーカリストの始まりだった。

2人の息子がいる。息子がパパのすごさが最近わかって来た。これでまた歌詞が変わってくるのだろうなと思う。
ファンからリスペクトされているのはファンなのでわかっているが、子どもから尊敬されている思うと気持ちが変わって来た。
最近カバーした曲、松たか子さんの「Let it go」。これを聞いて感動した。

次のオリンピックの開会式か閉会式で歌いたい。でも多くの歌手が歌いたいと言っている。
平原綾香さんがジュピターを歌いたいと言っていたので、「頑張ってください」とメールした。
オリンピック前にそのカバー曲を歌って一緒に歌えるとよい。

感想;
夢を叶えた人は、やはりかなりの努力をされていることがわかりました。
それと、絶対自分は音楽家になる、なれると思って行動されて来たそうです。自分で信じることが必要なのでしょう。
それと、酷い落ち鯉があり、そのことがあったので、注目されるデモテープ作成になったとのことです。
落ち込みやショックはマイナスなのではなく、それを生かすことで大きなチャンスにすることができるのでしょう。


戻る