"輝く太陽がなくなったら、私が小さく輝けばいい、小さな私でもだれかの心の光、希望の光となれる"「希望の光〜世界への感謝」菊地里帆子さん(小学校6年)

「希望の光〜世界への感謝」 菊地 里帆子さん(当時小学校6年)の作文が多くの人に感動と元気を与えたそうです。
この作文は知りませんでした。その彼女が中学3年生になり、行動を始めたそうです。河北新報にその記事が紹介されています。
言葉の大切なこと、そしてそれを実行していくことの大切さ。自分のことを振り返りました。とても素敵な作文と活動ですので紹介します。

河北新報(2015/1/27)"共に歩もう「子どもの遊び場必要;菊地里帆子さん(中学3年)"より
「中学校の同級生8人で昨年9月、東日本大震災で被災した子どものための復興プロジェクトを始めました。
中学生の私たちでもできる理科実験教室を開催しています。・・・子どもたちが歩いて行ける場所で遊んだり、勉強したりする空間が必要です。
・・・後輩の閖上の子どもたちと一緒に、元気で頑張っていることを外部にも発信していきたいです。」

「希望の光〜世界への感謝」 菊地 里帆子さん(当時小学校6年)
http://ameblo.jp/rebirth2010102/entry-10969269957.htmlより
私は3月11日2時46分に起こった東日本大地震で、家を小学校をそして大好きな街「ゆりあげ」を津波ですべて失ってしまいました。
私にとっては ゆりあげ はとても大事な存在でした。小さいころかわいがってくれたおじいちゃんと歩いた商店街。
「りほちゃん、りほちゃん」と声をかけてくれた近所のおばあちゃんたち、松林ごしに吹く潮風を感じながら過ごす毎日、
そしてキラキラと輝く穏やかな海そんなたくさんの思い出が詰まった街はあの日の津波がいっしゅんで消してしまいました。

地鳴りが鳴る程の大きな地震の後、私たちはすぐ体育館にひ難していました。
しばらくして、ラジオを聞きながら外を見ていた人の「津波だー」と叫ぶ声が体育館にひびきわたりました。
そして、屋上に上がり、見た光景は、津波が渦を巻き、おおいかぶさってくるように車も家も人も街も黒い闇のように奪っていく、
あの大好きな海の変わり果てた姿でした。呆然としていた私たちに、冷たい雪が降ってきました。

一晩真っ暗な校舎の中で、寒さにこごえながら。テスト用紙を床にしき詰め、みんなではげましあいながら、助けを待っていました。
時間がたつにつれて、頭の中は真っ白になり、ただただおそろしい時間が過ぎていきました、私たち姉弟は、家族のことを考えながら空をみていました。
私たちの不安な気持ちとは裏腹にあの日の星は恐ろしいほど光って、私達をはげまし続けてくれました。
そして、いつもは街の明かりで見えなかった小さな星たちが、大きな大きな希望の光となり照らしてくれていたのです。

あれから4ヶ月が過ぎ、私は今までの友達と又学校に通うことができています。
それは自衛隊・消防・警察の方々、全国そして世界のみなさんが支えてくれたおかげだと思います。本当にありがとうございました。
今多くのみなさんはきっと元の生活をしていると思います。あの日私たちは大切な多くの命だけでなくすべてを失ってしまいました。
でも、どんなに苦しい思い出あっても、私たちはひとつの経験として未来へ一歩をふみだそうとしています。
だから、この震災を心の片すみでかまわないので覚えていてください。震災をきっかけにたくさんの人の優しさや温かさを感じることができました。
将来、私は元気をあたえてくれた方々に「ありがとう」と恩返しをしたいです。感謝を忘れず精一杯生きていきたいです。

When the balzing sun is gone when he nothing shines upon. Then you show your little light.
輝く太陽がなくなったら、私が小さく輝けばいい、小さな私でもだれかの心の光、希望のひかりとなるように一生懸命頑張ります。

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