本の紹介&感想

「本物には愛が-みんな一緒- 黒柳徹子」 ”100年後のみさんへ”

「人間が本当に優しかったり、愛に満ちていたりしないと、
いい俳優にはなれないってことが、いろんな人に会ってわかってきました。
やっぱり根底に深い人間相とか、そういうものもがないと。」

トモエ学園の校長先生の「本当は、君はいい子なんだよ」
飯沢先生の「いまのままでいいです。君の個性が欲しいから」
このお二人の言葉がなければ、私はぜんぜん違った道に行ったと思います。
きっとね。何をやっても「いけない」って言われて、どうしていいかわからない大人になっていただろうなって思います。

病気になって、退院のときに院長先生に「私、死ぬまで病気したくないんですけど、どうやるんですか?」って伺ったら、
「こういう質問は、初めてだ」って。でも、「自分が進んでやれる仕事だけをやりなさい」と。
進んでやれる仕事をやっているとね、肉体の疲れは寝れば治る。
だけど、嫌だな、嫌だなと思っている仕事だと、嫌な気持ちはたまっていく。
「自分が進んでやれる仕事だったら、病気にはならないと思う。でもできるかな」って先生がおっしゃったので、
それ以来、自分が進んでやれる仕事だけをやるようにしようと心掛けて、ずっと仕事をやっていました。

それからどんなに親しい方でも下調べしてもらいます。
どんなに親しくても、なあなあにならないように、そこはね。
まあずいぶん、なあなあな人もいますけど、でも、やっぱりそこはちゃんと尊敬しているっていうことを表す感じで。
そういうふうにして、面白いお話を聞く、というのが、やっぱり大事だと思います。

三国連太郎さんは、戦争から帰って来て仕事もないし、お金もないので学校のときのお友達がね、ペニシリンか何かの会社を、築地の向こうでやっている。
そこの会社に入れてもらえないかと思って行く途中、信号待ちをしていたんですって。
松竹が後ろにあって、そうしたら松竹の木下恵介監督が、主役がいなくて探していて、「あなた、俳優になりませんか?」と言われて、
「月給いくらです?あっちでもらえそうなのよりも、高ければ行きます」と答えたら「もっと出すから」って言われて俳優になったとかね。
三船敏郎さんも仕事がなくて東宝に、カメラをやったことがあるからカメラマン募集しているそうだからと聞いて行ってみたら、
「やっていないから、ニューフェイスに行ってください」って言われて、ニューフェイスに行った。
で、「笑ってください」とか言われたけれど、「そんな、笑えって言われたって笑えない」で、
もう駄目で帰ろうと思ったら、その中の監督のお一人が、ちょっと呼び戻してって。三船さんは駅でね、来た電車に乗らなかったんですって。
それでね、どうしようかなと思っていたら「もう一度戻ってください」って言われたんです。
だからね、「これでいいんだろうか・・・」って、私、自分がそうだったからわかるんです。
自分には才能はないんじゃないとか、できるかなって、そういう疑問があって。
本当にスターになりたくてなった方じゃないものだから、やっぱりこれでいいのかなっていうのがいつもあって。
そういうものがあった方が案外長いっていうことが、『徹子の部屋』をやっていてわかりましたね。
徹子さん自身、たまたま見た新聞にNHKの募集があってそれで申し込んだ。試験はほとんだできなかったが、採用されたそうです。
一番大事なのは、愛があるということ

100年後のみなさんへ
「(略)私がユニセフの親善大使になった三十年前は、年間1,400万人の子どもが地球上で死んでいました。
それが、いまは660万人に減っています。100年後はもっと減っているだろうと、私は信じています。
それから、日本の子どもたちも大きな希望を持って、みんな生き生きと生きていける世の中になっていることを本当に望みます。
そして、もちろん、世界中が平和なことを望みます。(略)
若い人だち、100年後、素晴らしい世の中にしてください。お願いしますね。」


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