本の紹介&感想

「戦争における人殺しの心理学」 デーヴ・グロスマン著 ”戦争は人に残酷な結果を与えるだけ”

神話ではアレス(戦争の神)とアプロディナ(愛の女神)の結婚からハルモニア(調和)が生まれた。

リチャード・ゲイブリエル
「今世紀に入ってからアメリカ兵が戦ってきた戦争では、精神的戦闘犠牲者になる確率、
つまり軍隊生活のストレスが原因で一定期間心身の衰弱を経験する確率は、敵の銃火によって殺される確率よりつねに高かった。」
第二次世界大戦中、軍務不適格と分類された男性は80万人に昇る。
このようにあらかじめ精神的・情緒的に戦闘に不適格な者を除外しようとしたにもかかわらず、
アメリカの軍隊は精神的虚脱のためにさらに50万四千人の兵員を失っている。
98%もの人間が変調をきたす環境、それが戦争なのだ。
そして狂気に追い込まれない2%の人間は、戦場に来る前にすでに正常でない。
すなわち生まれついての攻撃的社会病質者らしいというのである。

ダイヤによれば、砲手や爆撃機の乗組員や海軍将兵には、殺人への抵抗が見られないという。
これは「ひとつには、機関銃手が発砲を続けるのと同じ圧力のためであるが、なにより重要なのは、敵とのあいだに距離と機械が介在していることだ」。
したがって「自分は人間を殺していないと思い込む」ことができるのである。

イスラエルの軍事心理学者ベン・シャリットは、戦闘を経験した直後のイスラエル軍兵士を対象に、何がいちばん恐ろしかったかを質問した
予想していたのは、「死ぬこと」「負傷して戦場を離れるkとお」という答えだったが、ところが驚いたことに、
身体的な苦痛や死への恐怖はさほどでなく、「ほかの人間を死なせること」という答えの比重が高かったのである。

ナチの強制収容所に見る憎悪の影響
「異常な状況に異常な反応を示すのは正常な行動である」 ヴィクトル・フランクル
ダイアによれば、強制収容所の人員にはできるだけ(凶悪犯とサディスト)が充てられたという。

殺人の重圧
戦闘中の兵士は悲劇的なジレンマにとらわれている。
殺人への抵抗感を克服して敵の兵士を接近戦で殺せば、死ぬまで血の罪悪感を背負い込むことになり、殺さないことを選択すれば、
倒された戦友の血への罪悪感、そして自分の務め、国家、大義に背いた恥辱が重くのしかかってくるまさに退くも地獄、進むも地獄である。

少し距離をおくほうが破壊は簡単になる。1フィート離れるごとに現実感は薄れてゆく。グレン・グレイ
犠牲者が心理的・物理的に近いほど殺人はむずかしくなり、トラウマも大きくなる。

権威者の要求
「撃たないと撃たれるから」という理由より、「撃てと命令されるから」と戦闘経験者が最大の理由としてあげていた。

集団免責 
「ひとりでは殺せないが、集団なら殺せる」

心理的距離
「おれにとってやつらは畜生以下だった」

距離があるほど人は殺人に抵抗が低くなる。
文化的距離;人種的・民族的な違いなど。犠牲者を否定するのに有効
倫理的距離;自らの倫理的優越感と復讐/制裁の死闘性を固く信じる
社会的距離;特定の階級を人間以下と見なす慣習
機械的距離;手の汚れない殺人の非現実感

第二次世界大戦中のドイツとロシアの戦闘は、両者がともに残虐行為と強姦に完全に踏み込んだ悪循環の好例である
アルバート・シートンによると、ドイツに攻め入ったソ連兵は、ドイツ国内で犯した民間犯罪には一切責任を問われない、
個人の財産とドイツ女性はすべてわがものにしてよいと言われていたという。
最後はそこまで行っていたのである。こんな奨励の結果、強姦事件の件数は何百万にも昇ったと言われる。
コーネリアス・ライアンの「ヒトラー最後の戦闘」によれば、第二次世界大戦後のベルリンだけで、強姦によって生まれた子供はおよろ10万人もいたという。

合理化と受容の段階
「ありったけの合理化の技術が必要だった」
対人的殺人の次の反応は、自分の行いを合理化し受容しようとする生涯にわたるプロセスである。
これはほんとうに終わることのないプロセスなのかもしれない。殺人者は自責と罪悪感を完全に捨て去ることはできない。
とはいえ、自分のしたkとおは必要なただしいことだったのだと受容するところまではゆけるのがふつうである。

非難された帰還兵
ベトナムから右腕を失くして帰国したとき、二度話しかけられた。「どこで腕をなくした?ベトナムかい」。
そうだと答えると、相手はこうぬかした。「そうか、いい気味だ」。
ジェームズ・W・ワーガンバック他「ホームカミング」より

パレートや記念建造物よりも重要なのは、帰還兵に日々接する人々の基本的な態度である。
その結果、ベトナム戦争が生み出した精神的戦闘犠牲者の数は、アメリカの歴史に見えるどの戦争よりも多数に上ったとゲイブリエルは結論している。
ベトナム戦争帰還兵には称えるパレードもなかった。

多くの打撃による苦悶
南軍は戦いに負けたが、帰郷した兵士たちはおおむね温かく迎えられ、手厚い支援を受けている。
朝鮮戦争の帰還兵の場合は、記念碑もなく、ほとんどパレードも行われなかったが、敵は侵略軍であって暴徒ではなかった。
なにより、かれらが戦ったおかげで自由で健全で繁栄する国、すなわち韓国が残り、その韓国から大いに感謝されている。
帰国したとき、人殺しだの嬰児殺しだのとののしられることも、唾を吐きかけられることもなかった。
同じアメリカ人から、一致して組織的な心理的な攻撃を受けねばならなかったのは、ベトナム帰還兵だけだったのである。
PTSDに苦しむベトナム帰還兵の数に関しては、下は疾病アメリカ復員軍人会の50万人から、
上は1980年のハリス・アンド・アソシエーツの150万人までさまざまに推計されている。
率に治せば、ベトナムで従軍した280万人の軍人の内18〜54%ということになる。

感想;
人を殺すと、その精神的な負担がトラウマとして多くの兵士に残る様です。
人を殺す距離が遠くなるほど人を殺しているとの感覚が薄くなって行くとのことです。
戦争を決めた人々は、人を殺すことはなく、国民に人を殺させて、かつ精神的な負担を結果として与えます。
戦争を決めた人々は、人を殺したとの精神的な負担がないために戦争を決めるのでしょう。
国家間の紛争解決に戦争は何の解決にもならず、犠牲者を多くし、また人を殺したとのトラウマを残すだけなのですが。


戻る